小説「サイレンの響かない日」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

そんな日は無い。そう思っていた。この違和感の正体は何なんだろう。

よくよく考えたら、今日私は救急車のサイレンを聴いていない。

この町では毎日二回か三回は救急車が疾走していく、してくる、サイレンのがなりを聴く。
サイレンは彼方から走りよってきて、此方に走り去っていく。
または此方から駆け寄ってきて、彼方に逃げ去っていく。
この町でサイレンの咆哮はせわしない。
何故か。

年よりが多すぎるからだ。

年よりと言う生き物は実に容易く危篤して、実に容易く蘇生する。
救急車で運ばれる年よりが天寿を全うする確率は低いのだ、大抵丁寧に処置を施されて、また生家へと帰っていく。

そしてまた、危篤して、救急車が血相変えて走っていくと言うわけなのだ。
この町でサイレンの叫びはとてもせわしない。毎日響いている。

だが今日はそれが聞こえなかった。

何だろうこの違和感は。

それはこの町の年よりが一人残らず一日病みもせずに平穏無事に過ごしたと言うことなのである。
私は驚愕した。
思わず一階のもの干場から外に出て、ビールの缶を持ったまま、
何処からか、サイレンの震えが届いてこないか息を凝らした。

聞こえては来なかった。私は唖然とした。夜の十一時である。

今日という一日を、全ての住民が傷む事もなく平穏に過ごした。一体どんな確率でそのような現象が起こるだろうか。

サイレンどころか聞こえてくるのは秋虫の鳴き声である。非常にのどか。

のどか。

危篤と蘇生を繰り返したのち年より達は当然の流れで墓の下に戻っていく。
きっと其処から出てきて、八十年という時間を過ごして、また戻っていく。生命は墓石のしたからやってくる、私はそんな風に感じている。

秋虫の聲を訊きながら私は缶ビールを飲む。

この町の年よりは全て命を保ったまま不確定な眠りに就いているのだ。

そんな、不思議な夜も有るのか、と私も不思議な気持ちでこの夜の中に、
居る。