小説「それはタベモノ」 | 文学ing

文学ing

森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

手足もついているし毛も生えているし、耳も自意識過剰気味な鼻もちいさな牙もついていて、明晰な眼球はまだその色を完全に失ってはいないのに、

 

それはもうしっかりとモノ、になっていた。

ハンターをやっている知り合いの家に用事があって訪れたらちょうど朝仕留めてきたイノシシの血抜きをしていたのである。

 

足を持って逆さづりにされたイノシシは黄色の目をじいっと見開いたままに、自らの下に受けられた金盥に落ちていく水っぽい赤い液体について、何事か考えているようにも見える。

「へえ。」

私は感心した。

「ずいぶん血が出ないものですね。」

と尋ねたらハンター友人は、

「いや、もう朝方にあらかた抜いてしまったんだ。あれは、もうほとんど出残り。」

という。

「この時期のイノシシはおいしいの?」

と私はその、両足を針金で吊って物置の梁からぶら下がっているモノについて聞いた。

「いや、まだまだ。もっと冬に近くならんと脂ものってこないし。まあぼちぼちかなあ。体も小さいでしょう。」

と言った。

この友人の作るイノシシベーコンはとても旨い。私は前に分けてもらったことがある。

「今回もベーコン作ったら分けてね。」

と私はハンター友人にお願いをした。

「ああ。いいよ。」

「このイノシシは、肉は食べるとしても皮なんかは何かに使ったりしないの?」

立派な毛が生えているのにもったいないと思ったのだ。

「そうだなあ。まず需要がないなあ。本当だったら鞄とか靴に使えるんだけど。

作るのに手間がかかるうえに欲しがる人があんまりいないから。だから廃棄だね。」

とハンター友人は言う。

「さっきまで山を走り回っていたんだよね。」

私は尋ねた。しかしハンター友人はそっけなく、

「否、おとといくらいに罠にかかったはずだよ。」

などという。よく見たらしっぽが切り落とされていて尻のあたりが大きく赤く切り裂かれている。しっぽは邪魔になるから最初に取り除いてしまうのだろうか。

ほほう、なかなかの赤身ですな。というようなきれいなルビー色の肉が毛の隙間から覗いている。

 

「こうなってしまうと、もう完璧にタベモノにしか見えないね。」

私が言うと。

「おお。間違いなくくいもんだ。」

とハンター友人が答える。特に足の付け根のあたりなんて本当に立派で、ハムにしか見えない。つい一昨日まで山を歩いていた生命だったのに。

今はその片鱗も感じさせない。残骸だ。まるで生命の残骸なのだ。

 

と、すると、私たちが普段食べているものはすべて生命の残骸ということになろうか。生命の残骸を食べて生きている、果たして私たちは生命と呼ぶに値するものだろうか。

そもそも胸をはって生命を名乗れるモノは、いったい何なのだ?

 

「生ハムなんて作ってみたらどうかな。」

私は提案してみた。ハンター友人は首を振る。

「このあたりは雨が多いからすぐかびてしまってだめだ。」

と言って首を振るのだった。ハンター友人は今夜このイノシシを下ろして、明日関西方面に出荷するのだそうだ。

「ベーコンの分の代金は請求するからな。」

と私は言われた。

「謹んで。」

と答える。