“こどものころ過ごした家には遣り水を溜め込んで大きく引き割った池があった。
初夏には蓮が赤いような黒いようななんとも言えない花を付けていた。
そこは父の弟が暮らしている家だった。
榮妃はその館で入内の素養を仕込まれるために、三歳から十歳までを日がな舞と琴と詩文を習ってすごしていたのだった。もう、恐ろしく昔の事だ。
たまに隙を与えられると、榮妃は却ってやることもなく、ぶらぶらと中庭の回り縁を歩いていた。
盛りの頃には例の黒いような不思議な蓮をじっと眺めていた。
家司はある日其処にいた。
『とってまいりましょうか。』
そう言うと榮妃の言葉も待たずに筒衣の裾をからげ、下履の濡れるのも構わずにざふざぶと池に入っていった。
そしてもう、やや開ききらない蕾を一茎折ってくると、
『小姐』(おじょうさま)
と言った。
榮妃は拳よりも更に大きな蕾を受け取って何も言わなかった。
結局、その花が完全に萎れて全く灰色になってしまうまで榮妃はぶらぶらと蕾を弄びつづけていたのだけど、
それをいぶかんだ叔父に訳を聞かれたら、
『家司にとってこさせました。』
と、だけ答えた。
叔父は、それ以上詮索はしなかった。 ”
「ずっと気になって居るんだけど、」
私は榮妃に聞いてみたかった。
「貴方は何も悪くない。」
“そうなのかしら。”
「だってその家司の男の人と、こんな言い方はあんまりだけど一生何があったわけでもないんでしょう?」
貴方はたまたま書いていた詩を他の女に見つけられて罪を着せられただけなんでしょう。
と私は聞いた。
“じゅうぶん悪いわよ。
後宮にいながら他の男の詩を書いたんですから。
あれははっきり言ってね、わたしの失策ですよ。
あんまりにも手持無沙汰だったものですからね。皇帝に厭きられてから。
皇后も今度こそ見向きもしなくなりましたし。暇だったのよ。
てすさびについ書いてしまったの。
宮女は一人残らず皇帝の玩具です、もちものです、もちものが皇帝以外の男のことを書いたら、それは罪になるのよ、”
「気の毒だね。」
と私は言った。
“ありがとう気に病んでくれて。ところであなただって何も悪いことをしているわけでは、ないわよね。
どうしてこんな暮らしをしているの。
わたしと違って、あなた思うだけなら罪でも何でも無いのでしょう、この国は。”
と痛いところを突かれる。
私は何もしていないのだ。本当なのだ。私は何にもしてやしないのだ。
悪いことなんて。
悪いことがしたい。
強いて言うならそう願っている。いつもそう願っている。