小説「たまごのある安寧」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

どうして私はこんなにも卵に安寧を感じるんだろう。
私は卵をいろんな風にしてたべるのが好きだ。

最近のブームは荒く炒めたところにトマトと合わせたオムレツが好きだ。オレガノを利かせると旨い。
一番よく作るのはたまごスープ。鶏ガラ顆粒で作ると良いのだ。

朝ごはんは、たいてい卵かけご飯だし、時には晩ご飯にも食べたりする。
一日に一回は生活の中にたまごが居ないと寂しい。
寂しいと言うか哀しくなる。哀しくなる。と言うか不安になる。
私はきっとたまごによるアディクトなのだろう、これはある意味で病気なのだと思う。

何故私はこんなにもたまごに安寧を感じるようになったのだろうか。

多分、子供の頃玉子が嫌いだったからだろうと思う。

私の家は働いている人間が一人しかいないのに家族が多くて、
晩ご飯のおかずが来日もくるひもイリタマゴと言う時期も多かった。玉子くらいしか安定して買えなかったんである。あともやし。

もやしと玉子の炒めたやつ。こればっかり食べてきた。
だから子供の頃玉子が嫌いだったのだ。嫌いと言うか、すっかり食べ飽きたつもりだった。ひところ迄は。

なのに年をとってから反動でたまごを求めるようになったのである。不思議なことだ。私はまるで一生を玉子と付合い続けているようではないか。

きっと、
たまごが無くなってしまうと私の過去が否定されたように感じてしまうからなのだろう。
どんな過去でも過去は私を構築した素材だ。否定されたら私は消えてしまう。

だから私はたまごに安寧を感じている、
否、
なんとしても安寧を求めたいと願っている。消えないために。