骨盤の辺りにぬらりと乗っかっている木の根を、重たいなあと思いながら何処かで眠っているかつての私の躯があるような気がする。
私の一族は昔からこの緑の溢れる、
山深い土地に生きてきた訳じゃない。何処からともなく流れてきて、何処かへと流れ差って、去り続けて今は此処にいるような、
出地不明のあやしい一家である。だからこそ今私はこの止めどない緑に押さえ込まれて、身動きすることを拒まれている気がするのだ。
きっと何処かで私の屍体は土に埋められたのだろう。
崩れ落ちるぎりぎりで止まっているような裏山の樹木を見ていて私は考える。
歴史の其処ここで人の土埋めはよくあったことだ。
人は死ぬときはいっぺんに死ぬから、埋める時もかなりカジュアルにそこら辺に埋められたことだろう。
それとは別になんらかのペナルティを喰らって生きたまま土に埋められることもあっただろう。
私は、
この不可解な時間の流れの何処かで、他ならない私の体が土に埋められたように思えてならない。
それは辛いことだったのか、
納得の行くことだったのか、
どうだろう、私は裏山の雪崩れる樹木を睨んで判断がつかないでいる。
それは時として私が緑に塞がれることを煩わしいと思うことに因るからであるし、
また有るときは土に添われていることに言い様のない安寧を感じるから、
要は自分で良く分かっていないのだ。
ただ私は常に、自分がツナガレテイル、と感じている。牢屋の様に、首輪のように。土に、山に。
だから私の屍体は今でも何処かの木の下で根っこに潰されているのだろう。
重たいなあ、と思いながら今でもその骨は埋もれているのだろう。