長編お話「鬼子のヒオリ」の9 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「野の子、野の子。
お爺が来てやったぞ。はよここを開けえ、開けえっちゃ。」
お爺ちゃんだ。お爺ちゃんが来た。縁側の雨戸がどたどた叩かれている気配がする。
「野の子、野の子。鏑木のお爺だで。」
と声が聞こえてくる。

と言うことはこれは夢の中だ。やった、お酒が飲める。
鏑木のフナドノカミのお爺ちゃんは夢の中にしか出てこない。
夢の中だったら私はおかあさんやおじいちゃんの目を気にしなくていい。私は鏑木のお爺ちゃんにお酒を出してあげられるのである。
ついでに自分も一緒に飲む。夜中に夢の中で飲む日本酒はとっても美味しい。

神さまはお酒をもらうのが好きなのだ。だから本当は稲兄さんやおやっさまにもお酒を持たせてあげたい。

でも神棚の下に置いてある一升瓶の中身が減っていることが分かると、私は身内からやっかいな目に遭わされる。
私がお酒を持ち出したのを知るとおじいちゃんから殴られる。それはおもしろくない。わざわざ殴られたいひとなんていない。だからおやっさまたちにはお水しかあげられないのだ。
残念だけど。

私は夢の中でベッドから起き上がると階段を降りていって、神棚のある部屋の障子と雨戸を開けた。
鏑木のお爺ちゃんはトレードマークの菅笠と簑を来て、明るい夜の中に一人でにこにこ笑っていた。

「待ってて。今コップ準備してくるからね。」
私はお爺ちゃんが来たのが嬉しいのでそう言った。
「おお、おお。いそがいでもいいけえ。」
鏑木のお爺ちゃんはそう言って縁側に腰を下ろした。

私は夢の中の台所から湯飲みをふたつ、取ってきた。夢の中で家はいつも冷蔵庫みたいに静まり返っている。だから私は夢の中には時間が無いんだと思っている。
時間は夢から吐き出される時に洋服を着せられるように、体に張り付いてくるものなのだ。

湯飲みをお爺ちゃんの隣に置いて、私は神棚の下の一升瓶を取ってきた。
「はい、お爺ちゃん。いつもありがとう。」
私はお爺ちゃんの湯飲みにお酒を注ぐ。
「ああ。すんませんなあ。」
お爺ちゃんは嬉しそうにすぐさまにくわくわとお酒を飲み込んでいった。

一升瓶は重たいけど私も自分の湯飲みにお酒を入れて飲んだ。

「野の子はあれか、まんだ人にいじめられようるだかあ。」
とお爺ちゃんは言った。
「ううん。そんなことないよ。私友だちいないから。だから大丈夫。いじめられてなんかないよ。」
私は自信を持ってお爺ちゃんに言った。

「それだが。お爺はそれを心配しょうるだが。
野の子のお母さんは人なだけえ、野の子ももっと人と仲よおできないけんだが。お爺はそれが心配なだが。」
と、お爺ちゃんはなんだか難しい顔をして言った。

私は、鏑木のお爺ちゃんが来るといつも訊くことをまた訊いてみる。

「ねえお爺ちゃん。
なんで私のおとうさんは私には会いに来てくれないのかなあ。
みいちゃんや稲兄さんはいつも来てくれるのに。」
「狗賓のちしゃあのもよおきよおるがな。」
と言ってお爺ちゃんは嗤った。
「三郎彦はいいの。来なくても。
でも。
私はおとうさんに会ってみたい。一度も会ったことがないんだもん。」
お爺ちゃんは静かに湯飲みの中身を見ていた。

「野の子の親にはなあ。お爺もじょうにおうとらんなあ。」
どげしょうるだらあなあ。と鏑木のお爺ちゃんは静かに言った。
「お山も、よわなんさった。もうわしらあの出る場わも無い。
野の子の親がよお出てこんのも、まあしょうないこたかもしれんなあ。」
「私がちゃんと奉ってあげないからおとうさんが会いにきてくれないの。」
「いやいや。
そげなことた違う。野の子。しょうないことも中にはあるだ。
でもなあ。お前の親はまんだお山におんさる。いんなった訳じゃないだけえ。」
そげに心配するもんでねえだ。

と言って鏑木のお爺ちゃんは私の頭を撫でてくれた。
今日の夜見たお爺ちゃんの夢は、これでお仕舞いだった。