直ぐに分かった、これは乱気流だ。
「ヤバイ。飲み込まれた。」
そう思ったんだが、どうすればいいのか分からない。
「今日辺り荒れそうだって尾崎さんが言ってたよ。」
と夜勤前の晩飯を一緒に食いながら西田さんが言った。
「ああ、そう言えばなんだかぴりぴりしますね。」
「そりゃ君、乾燥してるからさ。」
と西田さんは笑った。常に空調管理されている施設の中は、確かにぴりぴりして感じられる、いつも。
「今日荒れるんすか。誰が持ってかれますかね。」
と僕はペヤングを食べ終えて西田さんに訊く。
「さあ。尾崎さんじゃないからそこまでは分からないよ。」
「信男さんあたりじゃないですか? もう胃ろうの調子も良かないんだし。」
「いや、乱気流の時って以外と健康な人も持っていかれるらしいよ。」
と言いながらに西田さんはおにぎりを食べていた。
尾崎さんは僕たちの間で
“その道のプロ”
と呼ばれている。その道がどの道かと言うと、僕たちみたいに老人の死際にしょっちゅう立ち会う職種にとっての、
その道、とでも言おうか。
その尾崎さんは時々乱気流の到来を予告する。乱気流。気圧の変化が荒くなるみたいに
向う
と
こっち
の境目が激しく入り乱れる状態なんだそうだ。尾崎さんにはそう言う事が分かる。向うとこっちって何ですか? と前に聞いたら、
「そんなもん向うは向うでこっちはこっちでしかないだろう。」
と怒られた。
取り合えず乱気流に飲み込まれると向う側に行くらしい。簡単に言うと死ぬらしい。
「気を付けろよ。油断してると俺たちだってあっという間だからな。」
と尾崎さんは前に言っていた。
「寝てる時に妙にリアルな夢を見たら、それは向う側だ。下手したらそのまま持ってかれる。夢の中でこれがなんだな妙だなって気づいたら、
まあ諦めるんだな。」
と言われて居たのだ。
そして僕は乱気流の真っ只中に居る。
仮眠中にうとうとしていたら、見覚えのない山道を一人で突然歩いていたのだ。
ヤバイ。これは乱気流だ。
直ぐに分かった。木々の匂いがリアルだったのだ。これはただの夢じゃない。そうか、向う側ってこんな感じなんだな、と思ったのだけど、はっきりいって何をどうしたらいいのか全く分からなかった。
どこまでも続く舗装された山道の真っ只中に突っ立って、僕は完璧に取り乱していた。
このままあっち側に戻れなかったらどうそよう。と思った。夜勤中に仮眠したまま目覚めない医者や看護士は結構いるのだ。
そう言う人たちが乱気流に飲まれたんだと今まで思っていたが、まさか自分が。
「おーいどうしたらいいんだよ。」
と僕は呟いた。
風の通っていく気配があった。
「あーあ。
スター・ウォーズのDVD明日返却だったのになあ。誰が代わりに持ってってくれるかなあ。」
人生最期に考えることって意外とそんなことかな、と僕は思った。
ぞああ、ぼはあああ、
みたいな音がして周りの木々が大きく揺れた。
神崎くん、
西田さんが僕を揺すぶっている気配で目がさめた。
「困るよ。仮眠の時間変わってくれよ。」
と、強引に僕の掛け布団を引き剥がす。
「西田さん、僕戻ったんですか?」
ああ? 何を言ってるの。しらんしらん俺は寝る。
そう言われて僕は仮眠室から追い出された。
あれは果たして只のリアルな夢だったのか、それとも。
しかし戻ってきたと言うのにこの物足りなさの正体は、なんだ?