「支持されている仮説ではないけれど、前方後円墳はそもそもが“山”だと言われているんだね。」
いやあ、暑い。君もしっかり日に焼けたねえ。
と先生が言った。
今日は先生が現場監督を担当する日なのだそうで、せっかくだから昼休憩を一緒にとっている。
「古墳はつまり山なわけですか。」
「見たままと言えばそうなんだけど。でも恐らく弥生前期の埋葬の習慣が始まった頃からは人は死んだ後山に帰っていくという思想があったはずだからね。」
先生は調査本部から支給された缶コーヒーを飲んでいる。
「食べないか。午後も体を使うだろう。私は、あれだ。こういう時に重いものはなかなか食べられない。」
と言って先生は、封をきっていないままのカツサンドの包みを僕に見せた。
「ありがとうございます。」
僕はそのまま受け取った。
「と、言うかどうして人は死んだ後山に帰っていくんですっけ?」
「民俗学的な見地も含んでいるから意見も分かれるんだけど、ほらいつだったか話したことがあっじゃないか。
山という場所は境界線が曖昧になっている場所なんだって。」
僕は小学生のころから家の田んぼや畑の世話をしていたから暑さには動じない。
動じないつもりだったのだけど今年の8月は異常だった。おぞましいくらい熱気に包まれていた。おぞましい熱気の中に心を暗くする湿気が閉じ込められていた。
熱中症になりかけるバイトが何人も何人も出始めたから、昨日から休憩を取るインターバルが少し変更されている。
先生も2時間現場の様子を見回ってきたら、もう背中が黒くなるほど汗をかいていた。
「地面が」
先生はテントの下に置かれた椅子に座っていて、自分足元を指差す。
「上に向かっている。」
今度は同じ指を上に向けた。
「天に向けて登っていくところで、地面から遠ざかっていく場所だね。
そして天から降りてきて、地上に近づいていくところだよね。非常に曖昧な空間だ。言ってみれば向こうとこっちをつなぐ扉のありかという風に考えられたんだ。
天地、生死、自他、明暗、鬼神。
その境界線、いや、境界線を曖昧にしているものが、山。」
あんまりにも暑い。
正直僕も先生がせかく譲ってくださったのに、弁当の包みをなかなか開けられずにいる。
「と、それを人工的に作っちゃおう、というのがつまり古墳なんですか。」
うん、君は僕と気が合うね。こっちの学部に引き抜いちまおうか。
と先生はしごくまじめにいった。
「権力者は見る人を圧倒するものを作らないといけない。これは権力者の恐怖だ。
人を驚かせることができなければ、人をひれ伏させることができないからね。巨大な墳墓というのは単純にそういう、こけおどし的な意味ももちろんあるけれど、
それを山形に作るというのはもっと大きな意味もあったろう。境界線を一人の人間が独り占めしていることをあからさまに表現できる。こんなに恐ろしいことはない。」
こんなに恐ろしいことはない。僕は自分の頭の中で先生の言葉を反芻した。
「それにしても暑いなあ。これじゃあ計画を急がせてるんだか、反対に予定を遅らせているんだか分からないぞ。」
「先生境界線を独占した人はどんなふうになるんでしょうね。」
「つまり?」
先生は缶コーヒーについた水滴をハンカチで拭きながら僕を見た。
「その人はあっち側にもこっち側にもいけるということですか。極端に言ってしまったら死んでいることも生きていることも自分勝手にできるということですか。そんなわけはないでしょうが。
でもそういう風に思っている、思われていたということですか。」
「日本に死者蘇生の考え方は定着していないと僕は思う。だからこその殉死の風習もあった。しかし境界線が恐怖の対象だったことは間違いないと思う。
古文書説話などを調べたら、四世紀までに死に対する恐怖が確立していたことが伺えるから。君の疑問にははっきりこうだ、と答えることはできない。
そんな複雑な疑問は人に答えを期待することでもないしね。
でも君がさっき言ったようなことは、歴史や考古学だけじゃなくてどんなことを考える上でも大切な概念だとは言っておこうか。
境界線を単純に行き来してもいいのかどうか、とね。」
先生は急に携帯電話に呼び出されて、そのままどこかに行ってしまった。
僕は手元の残されたカツサンドと宙に浮いた疑問を抱えてさあどうしようと思っている。
毎日毎日てもちぶさたな割りに考えることばかりいろいろ出てくるのは、
本当にまぬけなことだと思う。
「結局なにがしたいんだおれは。」
とひとりでに口が行った。