小説「手紙」M.PP5 | 文学ing

文学ing

森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

食料の入った段ボール箱にはいつも
「悠」
と名の入った封筒が添えられている。
犬にでも呼びかけるみたいに感じる。
(へ、とか様じゃなくてもせめてもうちょっとなんとかしろよ、
とは思う。)
「悠」
とだけ書かれた無表情な封筒が、月々届く村からの荷物に入っている。
科学の進歩のすごい事には、
あんな僻地でも今やメールも打てればネットにも繋がる。母親も無論携帯電話くらい持っているし、自宅にある前世紀製プッシュホンがほこりを被たまま放置されている有様だ。
しかし母親は必ず段ボールには手紙を添えてくる。
メールで済む内容とか重要なこととか筆まめなのだとかそういうことではまったくない。
縄のつなぎ目を確認しにくるみたいなのだ。緩んでいないか、ほころびが無いか。
あの人にとってはつきに一回ながいながい手紙を書くことが、
大切な命綱になっているんだろう。
人に依って大事な局面、何にしがみ付くかは様々だ。
酒だったり女だったり金だったり薬だったり、見栄だったり業績だったり手垢のついた青春時代だったりするんだろう。同じことだ。
あの人は僕にこういう長い手紙を送り続けることで、
やっと毎月の心もとなさから自分を遠ざけているんだろう。遠ざけたいと思っているのだ。事態はどんどん悪化しているから。
小枝を集めたテントに暮らして、足元に水が染ん出くるたびに、テントごと抱えてもう少し高台に逃げる。
僕はこの人の所業についてそういう情景をいつも思った。あの人を脅かす水の勢いは刻々と増している。
でもこの人は何もしない。もっと丈夫な家を建てるとか、もっと遠くに逃げるとか、根本的な解決になることは何もしない。
出来ないのだった。
数限りない言い訳がこの人にそれをやるまい、やるまいと思わせている。
だからこそ手出しが出来ない。
僕は毎月の段ボールについてそんな風に感じる。
封筒の綴じ目を破ってルーズリーフの束を引き出してみたら、
書いてあるのは面白くないことばかりで、
それが先月と変らずまったくつまらないことばかり綴られているので、
僕は遂に、
ああお母さんは今月も元気だ
と安心するのだった。
今月も特に際立ったトラブルは、起きていないと。

今月もちょっと支払いが苦しいから、仕送りを減らすぶんお野菜を送ってあげる。
おばあちゃんの入る病院はまだ決まりません。今月もまた一週間センターに預かってもらわないといけません。順備がたいへんです。
お父さんは相変わらず機嫌が悪いです。
そして相変わらずあなたの悪口ばかり言っています。でもそれは寂しいのの裏返しなのよ。お父さんも不安なんです。たまには帰ってあげたら。
でも帰ってきたらきっとたくさんお説教されるでしょうよ。
お兄ちゃんのところの窓口さんからまた生活保護の調査が届きました。
元気にしているようです。何よりのお知らせです。

今回はざっと上のようなことがメインだった。
この一握りの情報の間を、とめどない一人ごとが、赤ん坊の呻きみたいに終わるでもなく、止まるでもなくぎっしりと塞いでいる。
それで僕は母親が、今月も金とか家族とかにきゅうきゅうに苦しめられていることを知るのだった。
まったく面白くない。
そして先月もまったく面白くなかったから、
あの人の日常が、今日も滞りなく続いているのだと、
僕は安堵して段ボールに収まったジャガイモと玉ねぎを眺めた。電車で運ばれて、突然降ろされて、今日からここで働け、なんて言われた不安な奴隷の子どもみたいに見える。そのくらいこころもとない野菜たちだった。
母親はきっと僕を憎悪しているんだろう。
この人を見限って逃げた僕のことを。
僕が村の外に逃げてしまって、周囲にあてにできる人間が一人もいないのに、
このまま県外にいついてよもや帰ってこないつもりでないかと。
僕に猜疑の目を向けているんだろうと、そう感じる。
だからこの手紙はまるっきりちいさな母親なのだ。
ちいさな母親が はなしゃしないよ と毎月言いに来る。これはそういうものなのだった。
村の様子は今月も変わりないようだな。
僕はそう思って安心するより無い。
とりあえず村の家族に対して僕が出来ることは、今この場所にいて安心している以外に何も無い。
これ以上何一つだって、してやるつもりはさらさらない。