「次は立ていでいい。」
爺さんはもう大して生きないそうである。
92まで生きことだし、本人に延命の意欲がさらさらない。
それにリンパ節に出来る癌というのは転移してしまう頻度が高く、とってもとってもあっという間に何処かには出来てしまう。
爺さんは発症のときもう90オーバーだったから、
癌は年寄りの方が進むのが遅いんだと言っても限度があるというもんだ。
そして90オーバーという肉体的スペックが、切り取るにしても抵抗剤を使うにしても、
爺さんには堪えることが出来ないというレベルの相談だったのだった。
よって爺さんはヤマイの発覚から今日に至るまで、
「治療」というものを一切行わず、いわば
「毎日ちょっとずつ死んでいった。」
んであるが、結局それが一番当人を延命させたようである。
今日、明日死んでもおかしくないという状態が昨日から宣言されているけど、
それでも本人にはいっかな影響せず、目も頭もしっかりしどうしなのだから、
みんな驚いている。
何も関係ない叔母さんなんかはむしろ哀しんでいるけど、
そういう例外は叔母さん一人だった。
正直爺さんを囲むほかの家族と村の衆は困っている。
親父とか叔父さんとか、互助会の会長とかである。
「次はたていでいい。」
と爺さんがいって憚らないからだ。あたまも心も異様にしっかりしている姿で持って
次の代の役を立てなくてもいい。
と言っているからみんなが困っているのである。
おれが爺さんに命じられてお役小屋に一緒に行ったのは、
じいさんが癌になってしまう6年ほど前だった。だから爺さんは84、だったか。
おれは高校に入ったばかりで、おれの家が担当している
「お小屋役」
というのが、日本全国どこにでもある、なんていうことのない日常なんだと思っていた。
お小屋役はおれんちが担当することにずっと以前から決まっているということである。
そして当世が爺さんということだ。
おれがお役小屋に行った時、爺さんは杖をついていたものの、
「別に杖いらないんじゃないか。」
と周囲に感じさせるほど、足も背筋も真っ直ぐだった。
そのアクセサリーにしか見えない杖を使ってしゃくしゃくと山道を登りながら、爺さんが言った。
「悠よお。こっから向こうをよおに見とれい。」
つづらおれが張り出して、木がない場所でその下の宅地やバイパスがよく見えた。
「どうした、爺ちゃん。」
「ここら一体、みんなうちげの土地やった。うちげ言うか、うちの先達がもっとったちう意味や。」
「そうなんだ。」
見ろ、といわれて見てみたら、見えるのは絶えず車が行きかっている高架道と、それを挟んで右と左に同じように展開している振興部落なんだから、うちの土地、だったと言われても
何か感じるか、
何も感じない。
「これが出来る前は全部山だったぞ。」
爺さんは杖に両手を預けて、重いような、硬いような、要するに不愉快な声音でそういった。
「山あ削るたどげなことか、分かるか、悠よお。」
「さあ。どうかな…。おれは見たことがない。想像がつかんよ。」
「あったところに山がのおなるちうことや。山崩して土地を平たくするいうことや。
そんだけだ。そんだけだったぎゃ。」
それでは爺さん、昔の山地が姿を変えてしまったたことが不愉快なのか、
とおれは思ったのだけど爺さんは何も応えてくれなかった。
そして爺さんが不快だったのは、何も山一つ消えてなくなることではなかった。
山が消えてなくなることそれ自体にとくに意味はない。
大切なのは山が消えるのと別のところで起きていることだ。
おれはそのことをきっちり理解するのに、これから先よほどの時間を掛けることになる。
お役小屋には本来当世役しか夜明かししてはいけないという約定があった。
月々決まった日にちに当世役が一晩お小屋に逗留して、
逗留するだけである。
あの夜爺さんがおれまでお小屋に泊まらせたのは例外中の例外だったのだが、
それが爺さんのなんの意図によるものか。
なんの意図でもっておれをその晩お小屋に引き止めたのか、
それについて悩んだ挙句、大げさに言えばおれの人生は先行きを鮮やかに間違えたといって構わない。
ともかく今言っておきたいのは、おれはお役閉めの朝が来たとき爺さんに嘘を言った。
「そうか。そりゃよかった。」
と爺さんはまったく事もなく、家に帰る順備を始めたのだった。
「何ぞみたか。」
と爺さんが聞いた時、おれは、
「いや、何も。」
そう言ったのだ。