小説「焼かれるページ」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

問題があるとすれば、問題が何もないことだ。
これが彼の、きっと10歳当たりからのやるせない悩み事だった。
短所の真相に長所の姿を見出す考え方に従うならば、
一個人の問題は
特徴であり、色であり、容積であり、形態であるのかもしれない。
問題がないということはそういう内容が一切欠けているということと同義のことじゃないだろうか。
要するに彼が肉体的精神的にむずかしい時代を迎えるころに、
もう目を背けていることが出来ない
とやるせないまでに自覚した内容だった、自分に対して。
彼には問題と呼べるものが何もなかった。
醜すぎない顔立ち、まずし過ぎない家庭、悪過ぎない成績、薄すぎない未来への展望、少なすぎない友人、少なすぎない友人とのトラブル。
まず問題といえるものが何も無いのだった。何についても問題なく起伏して、問題なく平板だった。
時折怒りに伴って発熱し、時折予想外の幸運で心が浮き上がった。
まず不幸ではないし、かといってやりすぎなくらい幸福でもなかった。
こういう風に17年生きてみたら、彼は自分にたいしてすっかりうんざりしてしまっていた。
そしてこういう年代に自分に対してうんざりすることも、なんらの問題を生じることではなかった。
そういうことはこれから先になんとでもなることであり、
それが問題に発展することはまずもって無いことが予想されていた。
予想よりは確定の方が近かった。
こういう色のない、あっても薄い、形の無い、あっても冴えない、重さの無い、あっても意に介さない時間を過ごす時、
かれは書籍の語るところに漸くの安心を得ることがせいぜいだった。
母親が魔女裁判で火あぶりになるところを見ている少年とか、
父親が酒びたりで二人そろって煙突掃除で生計を立てる兄弟とか、
畑仕事の帰りに人さらいに捉まって売り飛ばされて、輸送船の中で反乱して殺されたネイティブアフリカンとか、
迷い込んだ地下道で驚くべき財宝を見つけたりとか、
謎めいた女性に導かれて世界を救う手助けをしたりとか。
そういう文字の中の人物に彼は苦もなく溶け込んだ。溶け込んで、ほとんど一体になった。ほとんど一体になっても、なおそれは彼の物語じゃなかった。だからこそこういうことが彼の人生だったら良かったのに。そう思って、軽く失望することも、おおよそ問題と呼べるものではなかった。
ある日彼はなんとなく歩いていた旧市街で、網戸もガラス戸も開け放して、無防備な畳みに胡坐かきながら、なんだか細かい作業に没頭している老人をみかけた。
そこは住宅の居間で、壁一枚向こうに古本がはちきれそうに積み置かれていた。はちきれそうだからあえて店舗扉も開け放っているようだった。
「おう。」
老人は好意とも悪意ともつかない、挨拶ともいえない声音で歩いている彼に声を投げた。
「何をやっているんですか?」
飛んできた声を投げ返す要領で彼も言い返した。
「綴じを治してるんさ。」
老人は言った。
確かに手元にあるのは花布が破れて背表紙がはがれて、今にも綴じが開けてしまいそうな、紙くずすれすれの古書だった。
「綴じ、治して意味あるんですか。」
「ないよ。」
老人は手元にだけ集中して応える。
「綴じを治したところで誰も読みはしない。おれも読みはしない。またあの、山んなってるところのどっかに埋まっちまうだけだ。
でも昔にな、焼かれちまったページの数を考えると、こんな一冊でもつくろってやらんことには割りが合わんと思うのさ。」
「焼かれた本ですか。」
「おそろしくたくさん焼かれた。」
老人は言った。
「昔は本が嫌いな大尽が多かった。気に入らない本は何でも焼いた。価値のあるものでも意義深いものでも気に入らなければなんでも焼いちまった。
おそろしくたくさんな。
今本屋にある全部の本よりはよっぽどたくさん焼かれたんだ。」
「それは問題だったからですか。」
かれはかなり真剣に聞いた。
「なに?」
「問題があったから焼かれたんですか。」
「おう、そうよ。問題がある文書を大尽はゆるさねえ。気にいらねえ。だから焼いちまうんだ。てあたり次第だ。」
彼のうんざりがここに窮まった心境を、誰か理解出来るだろう。
ここに来て彼が非常にうんざりしたのは、自分が溶け込んで一体化したいと思っていた本の物語まで、
問題のないものだったことを知ったからだ。
あの本たちは今後燃やされることはないだろう。きっと。問題が無いのだから。
おれには問題がない(特徴がない。)
問題がない人生から満足を作り出すことは、
青空からアンパンを作り出すのとどれほど違いがあるだろう?