小説「リリー・ポワチエと本当のおしまい」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

選抜落ちを宣告されてから音声レコードで自分の記録を採り続けていたリリー・ポワチエは、
どういうわけか非常に清らかな気持ちでその朝目に覚めた。
そう、それはまったく目が覚めたという状況に他ならなかった。
私は、目を覚ました。
この朝に彼女が非常に感じたのはそのことだった。
そして、もう記録を付ける必要がなくなったことを彼女は理解した。
その反動みたいに心の中に混乱と安心が対立して生じ潮汐の働きのように相補い、相消し去ろうとして彼女の内部でたがいをやっかんでは納まらなかった。
もっとも潮汐の運動というのは人づてに聞いたことかそうでなかったらアーカイブで知ったことでしかなくて、リリー・ポワチエが実際体験したものではない。
ここは閉ざされた世界で、
ワールドベース、世界を保存した基地と呼ばれている処で、
その向こう、
壁の向こう、
その向こうで何百年も続いていた「人間の歴史」が本当はどんなものだったのか、彼女はまったく知らない。知らない以上に興味を持っていない。興味を持てないのはそれが「確実」なものであることを確認する手段がベースの中に残っていないからなのだった。
(もっともベースの物語を外側から見ている誰にとっても
「本当は何が起きているのか」を判断することはとても難しい)
ワールドベースは温暖だった頃の地球の環境を必要最低限に模倣したものである。
ドームのように閉鎖された環境で、空気と湿度を循環させ、保温と照明につかうエネルギーの効率を計算し、かつ人が生きていけるように食べ物を生産して、さらにその余剰をリサイクルして構造上では半永久的に「模倣環境」を持続する。
西暦1980年代までに「バイオスフィア実験」は何度か試行されて、
悉く失敗した。
閉鎖環境内に人体が生き伸びられるだけのサービスを用意するのはその当時の人達が考えていたのよりははるかに難しく、
そしてSFコンテンツが首尾よく宇宙に飛び出すようには気軽に手軽に出来ることでもなかった。
それは主にお金の問題で。
そこで来るべき環境激変の時代に向けて、100年という単位の時間を投資してやっと
人が生きていける「ぎりぎり」の環境を用意することが出来たのである。
リリー・ポワチエはそんな経緯を全く知らない。
知っていたかもしれないけど、そういう情報が信頼に値するものではないことを知っていた、と表現すると彼女の精神により近づけるだろうか。
ともかくその清清しい朝に、
彼女は自分がすっかり目を覚ましたことを知った。
すっかり目を覚ましたことを知って、彼女はまず幸福が炸裂した非常にチャーミングな顔で笑い転げた。
彼女は一切知らなかったが非常に魅力的な女性なのだった。
もういいわ、お仕舞いだわ。
彼女が目覚めたのはそういうことだった。
『こんな不具合をいつまでも続けていられない!』
そう、不具合。なにもかもが不具合なのだった。
人の持っていたのんきなテクノロジーで、環境激変の何千年も続くような時代を、来る温暖な未来まで同属を生き延びさせることが出来るなんて、
そのために用意したこのセカイがこんなにも不具合なのに、
誰も気にせずに生きている!
彼女が目覚めたのは、こういうことだった。
「世界はおわり。これでお仕舞い。」
世界が終わるかどうかは知らない。彼女に全く意に介さないことだった。
ともかく今日がリリー・ポワチエの最期の日だと彼女は理解して、
そしてとても朗らかに笑った。
世界が終わるかは知らない。
とにかく自分が終わりになったら、世界が終わったのと対して違わないと誰も知らないことについて、
リリー・ポワチエは大変ほがらかに笑った。
「私はおわり。」
そういうふうにして、世界はおわりを迎えた。