「今日はもうただならない夜ですね。」
一階の夜勤と二階の夜勤、それぞれ二人、計四人集まって、
それぞれの受けもちの現状報告を済ませ、適当でも肝心な短い軽食の時間を過ごしているところ。
「まさかの呼ぶ4全員集合ですとはね。」
一階、“体力組み”担当介護士、在職8年主任級の寺島さんが半ば自嘲半ば哄笑の気配でもって言った。
寺島さんのスペックは、『荒れ女』。
寺島さんが夜勤に入る日は昼間どんなに穏やかな天気でも、
必ず深夜に向けて大荒れとなる。なのでスペックは『荒れ女』。
大風、大雨、吹雪に台風。堤防の決壊。
さすがにそこまでは滅多に無いけど、施設全体が停電を起してしまうのはしょっちゅうで、
寺島さんとペアの夜勤組みは慌てて非常用電源室まで走っていくことになる。
「介護士長もヤキが回ったんじゃないですかねえ。おっとこんなことよそで言わないで下さいよ。」
2級ヘルパー、準職員在職2年目新米の広岡さんが言った。
広岡さんのスペックは『夢うつつ』。
広岡さんは利用者が自力でドアを開けることができない、“認知症組み”の二階フロアを担当している。
夜勤につく介護士は4人なんだけど、一階でも二階でも一晩中やることは山ほどあるので、連携して動ける望みはまずない。
広岡さんが夜勤に入る日は、一旦就寝したもののすぐに起きてきて鍬を探したり鎌を探したりして歩きまわる利用者さんが多発するのである。
消灯されて真っ暗な廊下の向こうから、ぺたりぺたりと足音が近づいてきて、やがて声が
「わしの鎌がないですけど、さっきからみようるですけど、ないもんだけえ、こないだ買ったばっかりだけえ、息子は大阪で社長をしょうりましてな。わしの鎌がさっきからないです。こないだ買ったばかりなですけど。」
とささやく姿は、はっきりいって戦慄に分類されるそれである。
広岡さんと一緒に夜勤に入る職員は、こういう利用者の方をなだめすかしてもういちど寝床に還すのでてんてこまいであり、しかも一人寝かせたと思ったらまた別の方が
「家に電話かけないけんですが。だけんど小銭がさっきから見えんです。」
と彷徨い出すのである。
「例によって、というべきかもうすでに風が強くなってきましたねえ。」
体力組み担当介護士、在職4年の米田さんが、自作のでっかいおにぎりをむしゃしゃやりながら、
むしゃむしゃやりながらだからもごもごとしゃべる。
米田さんのスペックは、『二度手間』。
一階の利用者さんたちは、言葉や考えの面では比較的現役なのだけど、足腰の立つひとはほとんどいない。
なので就寝前は一応トイレにも行くけど、多くは紙おむつ着用である。
米田さんが夜勤に入ると、どういうわけか、こんな言い方はなんなんだけど、
失禁なさる方が乱発する。
ご就寝中でもおむつ交換は2時間起きである。その辺り赤ちゃんのお世話にとても近い。
暗い居室の中でサイドライトを燈し、小さく声かけしながらさりげなくおむつを新しいものと交換
したくとも、シーツがすでに水浸しになっているので、それの交換は無論のこと
半分寝たままの利用者さんの肌着も寝巻きもみんな新しくしないといけない。
米田さんが夜勤に入ると、必ず相棒に舌打されるんだそうだ。しかし、
「松下がいちばんたちわるい。」
とお弁当を使ったりお茶を飲んだりしながらのみなさん言うのだから、あんまりだと思う。が、自分でも
「たしかにあんまりはあんまりなんだけどな…。」
と思っている。私だけ世に在らざることを起してしまうのだから。
わたくし松下、2級ヘルパー、在職3年。やっと仕事になれてきました。
私のスペックは、『帰還』。
そう、戻っていらっしゃるのである。すでに、旅立たれた方が。
私の担当は二階だから、広岡さんがいない夜でも夢うつつに彷徨い出る方は無いわけではない。
前回の夜勤だって、
「わしのサイフ盗ったもんがおるぞお。けしからんもんがおるぞお。けしからん。ほんにけしからん。わしが尋常のころはそげえなことしょったらそりゃあ…」
と言ってうろうろする利用者さんを、相棒がなんとか部屋にもどして詰め所に戻って一息ついて、
やにわに血相変えて
「さっきの○○さんじゃない!」
と騒ぎ出す。○○さんというのは、きちんと葬儀も済んで今はお身内と伴に安らんでいらっしゃるはずの元利用者さんである。
その、○○さんが帰ってきてしまう。どういうわけだか私が夜勤の夜は必ずそういうことが起きる。
「明日命があったら僥倖だと思いましょうね。」
と寺島さんが半ば自嘲げに、もうほとんど哄笑気味で言った。
軽食休憩は終わった。勤務を開始する時刻である。
施設のそとでは風がいよいよ勢いを増してくる。