小説「ちょうちょ」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

なんでもすぐはまりやすい質だったので、
松山ケンイチさんの映画
「ノルウェイの森」
見た後すぐ原作の小説を(文庫本で)買った。
そしたら
F.S.K.フィツジェラルド
という言いにくい作家の名前に行き当たったので、すぐさまかれの著書も買い集めたのだった。
彼は時代にいくつかの名言を残した小説家みたいで、
“ニューヨークは宇宙なんかじゃなかった”
というのを読んだ時は、ちょっとぷっとした。
あたりまえじゃーん
と思った。
さらに「マイロストシティ」という小説なんだか回りくどいエッセイだか分からない本で、
“アーネストが牡牛なら僕は蝶だ。
蝶は美しい。だが牡牛は存在する。”
というのも読んだ。
それを読んでとうとう私は、
ああアメリカの人は、そしてアメリカの人が好きなたくさんの人は、
都会の人なんだと知った。高校で、2年に進級するかどうかを真剣に悩んでいた時期だった。
(結果的に私は進級を選んだんだけど、
それは、ここで一年間を悩むことに中てる行為が
なんの結果も為さないことを本能的に理解したということなのかもしれない。)
そうか、都会の人には
牛が存在しているように見えて、蝶がただきれいなだけの存在に見えるのだな、
私は、
家は近所なんだけど高校は違うところにいったから最近一気に話すこともなくなった幼馴染のゆっくんを思う。
「ちょうちょって、どんよくだよな。」
本が好きだったゆっくんは、そういう難しい言葉を平気で使った。
私たちの生まれた地域は村中でひとつのみかん農園を営んでいるような、
それに家計の全部を頼っているような
場所だったんだけど最近ありきたいなみかんの売り上げなんてたかが知れているから、
ゆっくんの家もうちもお母さんは老人ホームとか建築会社の事務とかそういう仕事に出ていた。
ちょうちょは、どんよくだ。
そんな言葉が子どもの口から出るくらい、春先に跳ぶ揚羽蝶の数はうるさいほどだった。
揚羽のこどもはかんきつ類の葉っぱを餌にするから、みかんの木を好んで産卵の場にするのだ。
もちろん、商売モノのみかんの木が食い荒らされたらたまらないから、
親が卵を産んだ段階でおじちゃんたちが
ぶわーっと農薬をまく。こどもが孵らないように。
それでも、それが分かってても親は毎年卵を産みにうちのみかん畑にやってくる。
不可解な黒い模様の大きな羽をはためかして、
どうにかして子孫を残そうと必死に飛んでくる。
どんよくだなあ
と確かに私も感じたのだった。言葉の意味は分からなくても。
ちなみにとなり村には酪農でやって行っている地域があって、
雄の子牛が生まれたら、
だいたい使い道がないからさっさと出荷しちゃう。
私達は泥団子でサッカーをして、石を投げ合って遊んでいたら誰かが頭から血を吹くんだけど、その時石を投げることそのものじゃなくて
「あたまは狙わないようにしなさい!」
と怒られた。
そんなふうに子ども時代を過ごしたから私には、
“蝶は弱い。しかし存在する。
牡牛は見事だ。でもすぐ居なくなる”
という風に、その消滅してしまった作家の名言を、
勝手に修正したのだった。