小説「気のふれて幸福なおうち」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

今日も宮下さん一家は、
そろっておめかしして
楽しそうにお出かけです。
きちんと帽子を被ったお父さんや
綺麗な織りのショールを掛けたお母さん、
娘さんたちはどこそこブランド某老舗の
ワンピースや艶のいい革靴。
末の息子さんはシャツの襟など開いたことも無い。
タクシーが拾える通りに出るまで、宮下さん一家はにこにこと楽しげに語らいながら電信柱のインターバルを
一本一本越えて行った。
しかし、一度そういう宮下さん一家の姿が
街角に見えたりすると、
ご近所の主婦層、もしその時複数人でゴミ捨て場とか、
でなくても誰かんちでお茶会などしていたならば、
まってましたのタイミングで
ひそひそひそひそ
ひそひそひそひそ
言い始めるのがこの町内の
「景観」
なのだけど宮下さん一家は誰一人としてそれを知らない。
そなんですよ、と教えてあげたとしても、
きっと誰も理解出来ないのではと思われる。
宮下さん一家はこの町内で言わずと知れた
「気のふれた家族」
である。
お父さんは堅物で、町内の集まりに一度も参加したことが無い。
道を歩いていても誰にも挨拶しない。
家から出て、家に戻るだけのロボットみたいな人だ
とみんな怖がっている。
反対にお母さんはキテレツな趣味にばかり精を出しているようで、
椿の植え込みががさがさ言うと思って見に行ったら
宮下さんのおかあさんがまだ綺麗な落花を漁って居たりとか、
ほとんど腰を直角にして、道を睨んだまま果てしなく歩き続ける宮下さんのお母さんの姿などがよく見かけられている。
一番上の娘さんは、
昨年お嫁にいったということらしかったのだけど、
その割にはお婿さんの姿を見た人が無く、
本人はしょっちゅう1人でおうちに入り浸っていた様子。
きっと結婚というのは嘘なんだ、と皆が踏んでいるけど、どういう理由から宮下さんのご両親がそんな嘘をつくのか、誰にも想像だに及ばない。
二人目の娘さんはもうこれはまちがいなくどこか悪くしていて、
がりがりに痩せこけた身体でよたよた歩きながら毎日遅く仕事から帰ってくるのだけど、
ご家族がそれについて心を痛めている様子はまったくといって感じられない。
三人目の娘さんは高校を中退したあと
働きもせず学校も行かず、毎日公園のブランコや
駅の改札をぶらぶらしてばかりいる。
末の息子さんにいたっては、これは今話題のアスペルガーというやつで、
学校では苛められているし
いかがわしい店に入り浸っては
子どもには必要ない人形ばかり買い求めて一心不乱に組み立てているという。
と、これはご近所の主婦層の一般的な宮下評価なのだけど、
これらの条文すべてを持ってしても近所の人は宮下さんちを
おしあわせでいいことね。
と思っている。これは悪口ではない。
他人が見ればどんなに好意的に断じても
満遍なく問題を抱えている家庭である。
が、宮下さんちの誰一人として、
自分たちにいかな問題が内臓されているのか、
自分の家族がどんな疾病に罹患しているのか、
知らない、気付いていない、気付いたとしても理解しない、
理解しても問題にしない。
そういう、
そういう形でもって家族が家族全員を受け入れあっているのだな。
と、高校時代歴史の授業をあまりまじめに聞かなかったご近所の主婦層にもそれはまったくちゃんと分かっているのである。
まったくちゃんと分からせるくらい
宮下さんちのご家族は幸福を焚きだしているのだ。
この界隈に。
ちょっとおかしいけど、しあわせなおうち。
それこそが宮下さんちの町内における本性なのである。



*分かりにくさをさけるための説明*
江国香織先生の「流しのしたの骨」
のリメイクです。
大学生のときは、ほのぼのしたお宅だなあと
ほんわかして愛読していたのですが、
30過ぎのばばあになってから思い返すと、
こういうことではなかったのかと。
個人的にはこういう家庭が増えて欲しい。
まんべんなくきのふれた、家族。