小説「外に居る娘」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

後に残った伯爵にしてみれば、
その胸中のお悲しみは如何ばかりかとは思うけれど、
お怒りか、お苦しみかと問えば実際はそんなものではなく、
情けない、
情けないという思いそれ一つが
ただただ御身を苛んだものだろうと想像するに難くない。
病身の奥方に手術を施そうとしたところ、
現れた医者というのがあろうことか不義の相手であり、
のみに飽き足らず
施術のさ中に心中してのけられるとは。
伯爵の地位、家格にあってはまさに
もってのほかの醜聞であった。
で、ある以上、伯爵はことの次第について、
病院を相手に思う様責め上げるという痛ましい復讐を、
一切そういうことはしないでおくという
猶御寂しい判断を、選ばざるを得なかった。
病院を相手取るなら婦人の最期の醜態を、
世間に知らさずおけないからである。
それは同じく後に残された
お小さい娘子のためでもあったのだけど、
どう言ってもなんという不運が
この方を襲ったものだろうか。
令嬢は母君が亡くなられた時たった四つであったので、
おかあさまはご病気がわるくておなくなりになりました
と聞かされれば、
小さいうちならそれはそれと、清く哀しむことも出来たのだけど、
女中の口性というものに、封じを掛けれた旦那の在ったためしはない。
なので、ようよう十五におなりの頃にはもう、
自分の母は何か不道徳な仕儀で死んだのだ
ということは、すっかり承知しておいでだった。
母の死に方は、不道徳であった。
ということは、この生きている自分にも、
その不道徳は一生付いて回るということである。
娘は母親のものだもの。
死んで身体は失せたとて、なんというか残り香というのか、
その人の生きた痕、どうしようもない不始末が、
わたしの身体に染み付いているよう。
生きて体の残ったわたしを、人はそうして眺めるだろう。
この娘の母親は不道徳だ、と。
どうもわたしはましな家にはお嫁に行けまいな、
と令嬢はこの頃もうとっくに理解していらっしゃる。
何を好んで評判の悪い娘を嫁に迎えようと言う
上流の家があるものだろうか。
そうであるなら、別に構わぬ。
初めからはっきりしていることならば、却って心安いというものだ。
わたしは今に至るまでそうだったように、
額に付いた紅い痣を、奇妙な目で見るように、
人からそう、されて、生きていくだけなのだ。
そういう諦念を既に得ていらっしゃる。
それにしても、
令嬢は思った。
相手の医者というのが気に入らない。
かれは自らの末期にあって、
その持てる職責とかをいったいどう思っていたというのか。
断固として麻酔を嫌がった、
その患者に、あえて生きたまま、
肌にかたなを立てるというのが、
間違っても医者の職業だろうかと。
かれの職業者としての誇りは如何いうものだったのか。
かれの母への愛というのもまた如何いうものだったろうか。
それを考えるといつも、気に入らない。
つまらない、と思う。
おとことしても人としても、
その医者の程度がつまらない。
その医者のやりかたがつまらない。
つまらないおとこと死んでのけた母のことも、
また気に入らない。
なのでいっそ、母の不道徳など所詮そんなものだ、
と思ったりもする。
だから令嬢は、実は自身の生涯に張り付いた不道徳の名残を
それほど畏れていないのである。
つまらないものは、
つまらないというだけでもう充分だ。
生きているわたし自身の不道徳に比べたら、
煙になった母親の不道徳は
実にいくらも目減りするものだ、と
あの日外科室の外に居た令嬢は考えるのである。



*分かりにくさを避けるための説明*
泉鏡花先生の「外科室」を読んで、
出るべきところが残らず血を吹いた気がいたしました。
なので大胆不敵(厚顔無恥)にも後日談シリーズです。
ダスティンホフマンの「卒業」みたいにはいかない。
ライフゴーズオン、その他の人の人生は続くのだ。
まして残った令嬢はどうなったのか。。。
でもこのお話は、
お話を造る人間だったら必ず
「これ! これなのよ!!」
と思う奇跡の一作だと思うんです。