小学生の時神奈川に親戚の家に行って、
夜空が茶色くて驚いたのはすっかり昔だ。
その街は空気が大層汚れていて、
重たい雲が低めの空凝っていたから
ビルの灯りが反射して茶色く光っていたのだった。
私はその瞬間、空気が汚いという現実を、
人に聞いて教えられたんで無い、
自分の体験として初めて覚えたのであった。
今では夜空が茶色なのが、ふつうである。
どんな日でも、重たい空気は低い空に
だるうくだるうく垂れ込めている。
太陽は勤労者だから、そんな雲の向こうからでも
代わらずじゃんじゃん光っているので
昼間も暗いわけではないのだけれど、
ひたすら蒼穹ということは、もう無理なんである。
今では夜空が茶色いのが普通なので
だれも彼もそれも慣れ切っている。
近所の公園で「不協和」がスカートから足出している女子高生が
親にだまって“密会”してても、
泥を塗ったみたいに不毛な感じに見えるくらいである。
それだけ空気が悪いんだから、生きない人が多くなった。
いいことなのだ。
生きない。
生きられないのとは大きく異なるそのこと。
どんなことでも状況がはっきりするのはいいことである。
今ものすっごい空気が悪いのだ。とてもとても汚れているのだ。
だからこそ、生きないことを選べる人が増えたのは、
だからとてもとてもいいことなんだと私は思うのである。