小説「ちびこめ戦争」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

北アメリカ国の成立の歴史が、一発逆転を求めて旧大陸のあっちこっちから集まった、出自と習慣に脈絡を持たない雑多な「ひとびと」によって為されたものとするなら、
明治政変から敗戦高度経済成長期における旧首都東京も、似たようなものじゃないかと思える。
家を焼け出されるとか一家離散して行き場を無くすとか、あるいはどうも羽振りがよさそうだからここは一つとか、
祭る神様も冠葬のタイミングも実に様々で、やっぱりこっちも脈絡も無い雑多な「ひとたち」が、集まって、海を埋めるとか山を開くとか、そういうふうに新しい街を作った。
この過程である種の「神殺し」は行われているはずであり、魂の宿らなくなった土地に「科学さま」という新しい技能を埋め込んで成り立ったニュータイプ市街。この辺も、先住民の大規模な排除と照らすとなんとなく近いものを覚える。
要するに「おとのさま」がいなくなった瞬間くらいから2025年にかけての日本は、全体が小さな18世紀だったんじゃないかと思うのだ。
首都圏と地方都市の経済格差の問題はだいぶ以前から話題ではあった。
衛星動画という方法がある。
夜の日本列島を宇宙くらいの高さから眺めているとまさに出っ張った腹に当たるというのか、首都圏の光びかさというのはもうあからさまだ。
集まりすぎているんである。
物とか人。細かくすると物資、資源、金銭、労働者、興味関心、情報、文化、栄光、暴力、軍事力、などなどなどなど。
そうである以上人やカネの居なくなった地方都市の経済の下落は深刻な問題で、どうするのか、どうやって首都に集まっていくいろんなものの流れをこっちに取り戻すのかというテーマについての会議が、ここ30年くらいずーっと結論を見ないまま続いたのだが、
ついに去年「いよいよをもって」
大東亜首長国連邦の成立をみる運びとなったのだった。
「首都切り離し作戦」
の始まりであった。
北アメリカが、旧国からの自立を求める暴動だったのに対して、搾取されていた側が旧主を追い出しにかかったという大東亜連邦の現状は、似ている点もありまったく反対の面もあり、歴史としてだけ見ていると2、3時間は楽しめそうだ。
北九州、広島、関西広域、北陸、北日本、北海道に代表首長を置いて発足した連邦新政府の主張としては、
「旧首都東京と他都市との経済および文化の差異が著しいことは過年から明らかであり、それにより生活習俗や依存する判例も異なってきている。そうである以上、旧首都と当連邦は今後『他国』としての経済連携を図っていくことが、双方にとって望ましいものと考えられる」
つまりもうお前らに払う税金は無いんだよということだった。
そっちはそっちてはぶりよくやっているんだからどうぞ好きにするといい。こっちはこっちで大変なんだから。というような。
旧首都を含む関東広域は便宜的に「小米国」あるいは「西アメリカ」と呼ばれた。
連邦と小米のやり取りは「貿易」と「外交」という形をとるようになった。連邦は小米の製品にかける関税について必死になっている。安くしてたまるもんか。小米だって負けては居ない。そもそもあんた方の政府離反なんぞ認めては居ない。こういう小競り合いの時代が始まった。
連邦側の市民にはいくらものやっかみがあるので関東圏にたいし大抵、
「ちびこめ。」
という呼び方を使っている。なのでこの内乱状態の俗称は
「ちびこめ戦争」
であった。
「内乱状態」とは便利な言い方だ。「現状としての内乱」とは一線引いているという意図が隠れている。
「只今自国は内乱状態ですので、それ以外の問題にはちょっと参加しかねます」
というのが日本列島全体としての本音ではあるのだった。
戦争を回避するための内乱の選択である。
自分ちで内輪もめしていれば、大陸のどこかで複数国家間の戦闘が起きても、カネも人も出さない口実になる。
ただ単にカネがない、というと国の面子が立たないんだから、国内に政庁が複数あり互いに利権を認めない状態に陥ったというほうが相手としても納得さぜるを得ない。
第三世界では今でも人が死に続けているのかもしれない。が、ちびこめにしても連邦にしても、びたいち出してやるつもりはない。
この、「言い訳のための内乱」はけっこうどこの国もやっている。
どこの国でも国内の争乱への対処に必死になっていたら、世界の王が何を言い出しても、ちゃんと聞いて上げる余裕がなくなる。
それでも王が世界の様々な国に無理を言い続けたいというのなら、それは世界の王が暴君になったということだ。
暴君は、誅さなければならない。
「世界の守護者」
としての北アメリカ国の権威は下降線を描き始めたのだった。
「ちびこめ戦争」のほんとのとこは、そういうわけでこういうことなのである。