器
というテーマについてこのごろ考えを深めていまして、
およそこの世に
器でないものがあろうか
と思うようになっているのです。
器。入れ物。
箱、つぼ、コップ、籠、缶カン
は明確に何かを入れるもの。
畑は野菜を入れるもの、たんぼはお米を入れるもの。
居酒屋は飲んだくれを入れるもの、
刑務所は犯罪者(冤罪込みで)を入れるもの、
学校は子どもを入れるもの、
各種会社はお父さんお母さんその他を入れるもの。
国家は人を入れるもの、
地球は生物と自然を入れるもの、
宇宙は以下略。
そうでなくても
布団は寝心地を入れるもの、包丁は切れ味を入れるもの、
いじめられっこはクラスのうっぷんを入れるもの、
グラビアアイドルは性の幻想を入れるもの。
すべてのものにはそれに期待される役割や、期待や欲求や、
すくなくとも本質や真理は
ナニガシカ詰められているはずだと思うのです。
そう考えた時、自分が作っている一連の文章は、
「入れ物だけ」、
そとっつらだけであって、中身が無い、
自分は自分が吐き出している物語の中に何ものも詰め込んでいない、
自分は一つの単語と一つの接続詞を
レゴブロックみたいに組み合わせて、
人の住めない家を作っているだけではないか
と思いました。
だからこれからおれは自分の文言の中に
何を詰め込んでいくのかを考えて書かねばならぬ
と2日ほど考えておりました。
が、違うんじゃないかと。
自分のお話は、ケース(ガラスケース)でいいのではないかと。
3日めの今日はそんな風に思いました。
おれは骨組みだけの、張りぼての、
中が空洞の何かを書く。
そして、読んでくださった方がその中に、
何でも思うさま、いろんなものを入れこんでくださったら
いいのではないかと。
物語は読者のこころの入れ物です。
自分は今この瞬間そこに確かにいる
「あなた」のこころが
すっぽんり
と入る何かを書かねばならぬ。
2014年2月あたまに、こういうモチベーションを得ました。