小説「仙人のやり口」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

昔、唐の国に李某という男がいた。
もとは金持ちだったが知恵がなかったので、持っている金を貯める事も増やすことも知らずに、一切使い切ってしまった。
李は一文無しになった。一文の銭もないということがいっそ斬新なほど優遇されたぼんくらであった。
元は親に身分があったのがいけない。息子をしつけたり教えたりということをしなかった。おりしも国は賄賂が公然と横行していて、いい家の出ならば、ほどほどの官職につくことは安かった。李の両親も、官庁に渡す袖の下に困るわけではない。
しかし運悪く、というのが当然ながら、というのか、乱が起きた。都は蹂躙されて官僚は蹴散らされた。李の裕福な親もまき沿いを食らってあっさり死んだ。ぼんくらな息子は命を助けられたけど、学識もないし政庁は混乱したから、袋の中の小金を食いつぶしたらもうなにも残らなかったのだった。
人の家の軒先を借りながら、傾きかけている日を眺めて李は胎をすかせていた。なまじ育ちがいいだけに物乞いでもしようという覚悟が湧かない。しかし胎の減るのにはしかたない。飢えて死ぬのもなんだかおっかない。
そうだ、仙人になったら胎もへらんだろうと。
李はそう思った。
まことに雑な動機である。しかし思いついた当人としては名案のつもりだった。李は日の暮れぬうちにと、仙人が住んでいそうな岩山を選んでとことこと登っていった。
ぼんぼんだから、いくらも登らないのにすでに大層すすんだ気になっている。下草の姿で山の高さが測れることとも知らないのである。だから山といっても、李が登った道のりは実にたいしたこともない。丘というほどにもならない。しかしどうしたわけなのか、それらしい老人が突如として眼前に現われた。
汗をかきかき、息をひいひい言わせながら草の茂った道を進んでいったら、急に辺りが開けて小屋が一軒建っているのが見えた。
小屋の前に誂えたみたいな桃の古木が生えていて、その下に、これまたいかにもな長白髭の老人がにこにこ笑って立っていた。
これは間違いないだろう。
と李は思う。確かに見た目はそうなのだが、疑うという行いがない所が李には恐れ入る。老人はにこにこ笑って、語りかけた。
「若い方。拙になんぞご用かな。」
李は、ともかくも礼をしなければならないという最低限の常識ならあったから、それまでしたことも無いのだけど、地面に手をついて頭を下げた。
「先の乱で親が死にました。家も家財も失いました。行くところもございません。お許し頂ければ先生の弟子にしていただきたく思います。」
老人はにこにこ笑いながら、李が稚拙に口上するのを聞いていた。
「うんうん。若い方はなかなか感心な御仁であると見る。うん、仙道の修業をしたいというのだね。いいだろう、引き受けよう。で、あるならば、こちらに来なさい。」
老人は袖を探って古ぼけた木鉢を取り出すと、李を手招いた。疑いのない男だから素直に近づいていく。
「見てごらんなさい。」
老人は両手に捧げた鉢を促した。見るといっても、それは木を削っただけのただの鉢で、いくら眺めてもどうということもないのだった。
これがなんなのだろう。見ているとなんだというのだろう。
李がそれでも、ただ素直に鉢の底を覗いていると、老人はいきなり李の右の手を取った。
「こっちにおいで。」
老人は李の手を引いて歩き出した。
その歩き方が尋常でない。速いというなら立ち木が斜めになったように見えるし、重いというなら空気が急に分厚くなったようにも思える。
異様な感覚に驚いたかそうでないのか。気がつくと李はむき出しの岩だなに立っていた。
「では最初の行を言いつけるからな。この岩くらに座って、次に拙が迎えに来るまで待っておれ。そのあいだ一切口を聞いてもならん。誰についていってもならん。何事も是と言ってはならん。それを守れたら、必ず好い験がもたらされるであろうよ。」
老人はまださっきの鉢を持ったままだったが、塵が払われるようにごく自然に姿が見えなくなってしまった。
李は一人で残された。ぽかんとしていた。
でも不思議なことがあったのだから、きっと自分は仙道の門をくぐったのだろう。そう合点した。つくづく単純なおとこである。そして単純だから、今は師匠であると勝手に決めた老人の言うとおりにしようと思った。岩の上に胡坐をかいて、さっき沈んだ日がまた昇ってくるのを待つことにした。
夕日の名残が西の地平に残らずしまわれるまでは、すぐに思えた。
もう自分の手も定かに見えないくらい闇が降りてきている。風が止まっていた。そよともうぞとも動く音すら聞こえなかった。やれやれ、こんなところであとどれくらい待つのだろうかと李はもう怖気づいていた。
何も見えないし、音もない。普段怠けるのは得意なのだがそれは手慰みになる何かがあるからなのであって、こんなに何もないところに居させられては怠ける用意もないのだった。
ああ退屈だ。仙道というのもなかなかめんどうだなあ。
そんな李に答えたのかもしれない。辺りの草がどうどうと踏み荒らされる騒がしさが突如として起こった。火玉がほろほろっと起きる。
「応。」
声があった。
「応。」
「応。」
さらに二つ違う声が立った。李は仙人に言われたからと言うか、むしろ驚いて声も出せないのだ。
「応、人肉があったぞ。」
「応。確かにあった。人肉だ。」
「応。確かに言われる通りだ。」
鬼だった。一本角、二本角、三本角の三匹の鬼だった。一匹は赤黒く、一匹は青黒く、もう一匹は小汚かった。それぞれに縄と、手鍵と、さすまたを引きずっていた。火玉を寄せてみては李の顔を覗き込み、おのおの首をかしげている。
「なんだかどうにも変な具合だな。」
「なんだかどうも、妙な人肉だな。」
「応。死人があると聞いてきたのだが、妙な死人だ。確かに人肉なのだが、生気があるぞ。」
「生気はあるが死態もしているぞ。」
「おい、死生簿を改めろ。」
「改めている。本月本日本山岩くらに死人ありと正してある。この人肉で間違いない。」
「おい、お前は誰か。あるいは何か。ここで何をしているか。」
一本角の赤黒く、縄を持った鬼が李にわめいた。李は答えなかった。鬼はまた問うた。今度は二本角で青黒い鬼だった。今度も李は答えなかった。最後に小汚い鬼が同じことを問うた。それでも李は答えなかった。
「これで分かった。」
「応。これではっきりした。」
「生者は言を弄するものだ。この人肉は生気はあるものの、口を聞く気配がない。死人だ。死人に違いない。死人であるなら、連れて行こう。おい。」
青黒い鬼が手鍵を李の首に打ち下ろした。
と、李の霊魂が引き出された。すると小汚い鬼が李の霊をさすまたで押さえつけた。そこへ赤黒い鬼が持っていた縄を首に括りつけた。
そうして三匹の鬼は、李の霊を地獄へと引きずっていった。

引き出された死人を見て、閻羅王は汗を流して悩んでいた。
「お前たち、この死人は確かに本日の死人であったのか。」
閻羅王は象牙の軸をした巻物を、開いては閉じ開いては閉じして悩んでいる。
「死生簿をなんど見てもこんな死人の記録がないぞ。これはなんという死人だ。」
「答えませんでした。」
赤黒い鬼が答えた。
「どこから来たものだ。」
李は答えない。
「何をしていた。」
李は黙っている。
「まったくなんと面倒な。やっこどもよくぞこんな面倒な死人を持ち込んだものだ。まったく面倒だ。おい、誰かあるか。こいつの祖がどんな様か知っているものはあるか。」
文書を持って右往左往していた鬼たちは口々に、おいおい、と尋ねあっていたが、やがて一匹が口を開いた。
「知っております。母親が畜生になっております。自分が引いてきたので覚えております。」
「よし、その母親ここに引いて来い。」
と、閻羅王が言うや否や、黒灰色の鬼に引かれて一匹の雌馬が現われた。
「お前がこれの親か。」
馬はぶいいいっと苦しげに嘶いた。これが自分の母だろうか。李は非常に恐れていたけど、でも馬の姿を見せられたらどうも寛いで、光景を疑う気持ちに初めてなった。
おんばに日傘で甘いものを食わせてくれた母だから、懐かしいとは思う。
しかしその母はいつも翡翠や金糸で着飾っていた。目の前の雌馬はやせこけて毛も抜けて、母だと思うにはあまりにみすぼらしかった。光景と想憶が、どうも繋がらない。
「お前がこれの母親か。これが何故引いてこられたか訳を言えるか。言えぬなら叩いて正すがどうであるか。」
王が一喝すると、雌馬は口から泡を吹いて嫌がり、目から赤い汁が垂れた。
「確かにこれはわたしの息子でございます。夫も乱で先に死にましたので、もう家も財もありますまい。飢えて斃れていたのを、卒様がお間違えなさったにちがいありません。」
雌馬はなんだか妙に澄んだ声で喋ると、悲しそうにぶひぶひと鳴いた。
李には何がなんだか分からなかった。

非常な美人と会い座して酒を呑みながら、仙人はにやにやして尋ねた。
「なかなか、旨いこと横槍を入れられましたな。月宮夫人。あれの親は子どもを恨んで居ったでしょう。畜生に落とされたのも、息子が年の祀りをせんからですからな。」
女主人、月宮夫人はたいぎげにうちわで襟元を扇ぎながら、だらりと答えた。
「だってわたし、今日でやっと百年目の浄罪日なんですもの。」
月宮夫人は元はれっきとした女仙であったけど、夫が罪を作った際に連座で仙界を追い出されていた。今は月宮という屋敷を与えられて、百年に一度の浄罪日の度に、善行を摘むように天帝から言い渡されていたのだった。
「いいじゃない。母心を見せて遣ったんですもの。あの雌馬ちっとは呵責がかるくなるでしょうよ。彼方こそどういう気まぐれですか。」
「いや。地獄府の大王は仕事熱心なばかりに堅物なのが良くない。ちょっとおちょくって差し上げたまでのことですよ。」
仙人はにこやかに答えて杯の酒を飲み干した。

天地が明らかに隔たっているように、仙道と人道ももちろん明らかに隔たっている。天地がどれほど隔たっているのか知っている人の居ないように、人と仙人のあり様がどれほど隔たっているのか、知っているものもないのである。
神仙の懐をためすべきではない。時に我々が羽虫やミミズをいたぶるように、神仙は試みに人をもてあそんだり千切ってみたりするものである。
実におそろしい方々なのである。