「今度戦争になったらね、
私はヤミ市をやって稼いでやるの。
あの時はよくわからなくて駄目だったけど、
今度はきっと大丈夫。」
正確な描写ではないのですが、
「富士日記」
という本のこういう記述を読んだ時私は腰を抜かした。
「今度戦争が起きたら。」
私はだいたい90年代に義務教育を受けた。
同じ時期に学校に通った連中が
いかにパッパラーになったかは周知のことなんだが。
「道徳」でも「人権教育」でも「倫理」
でもなんでもかんでも我々は
戦争
だめ、絶対。
で大きくなった。
今でもたくさんの人がそういう。
でも、現役で戦中戦後だった人達にとっては、
「今度の戦争ではヤミ市で稼いでやるのだ」
なのだ。
「戦争を招くつもりか。」
「戦争は金儲けのつもりか。」
みたいなやっかみはとりあえず置いときましょうや。
そういうことでなくて、
この一文の顕しているものは、
どんな状況に置かれても
我々はじぶとく生きるのだ
という意図と確信
なのでないだろうか。
地震あったし津波あったし原発どーんしてしまって
山ほどひとが苦しんだ。
でも、どうしても、
やっぱりひとは、
生きるように出来ているんじゃないだろうか。
それが分からなくなってる。
分からないんなら、
先は知れているんだぞ。