ドイツは開戦当初から食料の確保に苦しんでいた。もともと食料自給率が低い上に戦時備蓄も調達計画もろくにないまま戦争に突入した弱点をイギリスに見透かされ、海上封鎖によって食料輸入が途絶したからである。寒冷な気候と痩せた土地のドイツは小麦栽培に適さず、ライ麦とジャガイモが辛うじて自給可能な主要作物だった。ふんわりとした小麦のパン(Weizenbrot)は農民とは無縁のもので、彼らは薪を節約するため3日に一度ライ麦パン (Roggenbrot) をカチカチに固く焼いて保存し、スープに浸して食べていた。これにジャガイモ、ザワークラウト(塩水に浸けて発酵させたキャベツ)、塩漬けの豚肉やソーセージ、水代わりの低アルコール・ビールが主なメニューだったようだ。秋になると、農民たちは森に豚を連れていって落ちたドングリをたっぷり食わせて太らせる。牛は成長が遅く鶏は小さすぎるので、粗食でよく太る豚が最も栄養豊富で効率的な保存食になったのだ。彼らは餌の乏しい冬を何とか越えられるだけの豚を残して後は屠殺し、肉も内蔵も脂肪も血液もすべて無駄なく食べられる塩漬け肉やハム、ソーセージ、ラードなどの保存食に加工して厳しい冬を生き延びたのだ。

 
19世紀、産業革命に成功して重工業を発展させたドイツは、農村の余剰人口を都市に集めて労働者に変貌させ、工業製品を生産・輸出し、食料を外国から輸入する産業国家に変貌を遂げ、小麦の30%、飼料用大麦の46%を、アメリカ、ロシア、カナダ、ルーマニア等に依存していた。この内、ロシア、カナダは敵国となり、アメリカ産の食料はイギリスの海上封鎖によって阻止されたため、1916年の時点で頼れる輸入元は陸続きのルーマニアのみという事態に陥っていた。カイザーは、同じホーエンツォレルン家の血をひくルーマニア王家に対し、共に戦うよう強く促していたのだが、国王は旧領トランシルヴァニアとブコヴィナを割譲するというロシア皇帝の約束を信じ、1916年8月、ドイツの敵国として参戦する道を選んだ。第一次大戦では両陣営共に、勝てば敵国の領土を割譲するという約束を乱発して中立国に参戦を促していた。譲るのは敵国の領土であって自国のそれではないのだから幾らでも気前のよい約束ができたのだ。誘われた中立諸国は、それぞれに勝利の見込みと領土欲を天秤にかけ、この時までにイタリアは協商国に、オスマンとブルガリアは同盟国に荷担して参戦に踏み切っていた。
 
同族のルーマニア王国に背かれたカイザーはショックでふさぎこむが、軍は奮起し、オスマン、ブルガリア軍と共にルーマニアを攻撃、首都ブカレストを含む国土の大半を占領して国王を北辺に追いやり、貴重な原油と食料の供給元を確保することに成功した。だがこの程度では食料危機の根本的解決は望むべくもなく、政府はジャガイモ粉10%を含む「戦時パン」(Kriegsbrot ) 略してK-brotと呼ばれた)を標準品質に定めたが、すでにジャガイモ自体が不足し始め、品質のさらなる低下は防ぎようがながった。政府の価格統制は徹底せず、価格の低い地区から高い地区への転売や投機が横行し、農家は価格上限を定められた穀物やジャガイモの栽培を避けるか、統制のない豚の飼料用に転用し、人間の食料不足に拍車をかけた。
 
ドイツ国民は独自に各種の代用食を工夫し、庭や畑、公園などを「小さな庭」を意味する「クラインガルテン」(Kleingarten) に変え、できる限りの作物を栽培して飢えをしのいだ。そこに1916年、ジャガイモが大凶作に襲われて配給が極度に滞り、ついにパンに代わって「ルタバガ」と呼ばれる北欧原産のカブラを主食とせざるをえないところまで追い詰められた。町ではカラスやスズメの肉が売られていたという。人々はこの時期を「カブラの冬」(Steckruebenwinter)と呼び、耐え難い苦難の記憶として語り継いでゆく。戦後の調査では、1915年から休戦までの3年間に餓死者の数は76万2千人に達したと言われている。
 
戦争が長引くと若者は兵士に、馬は軍馬に、女性は工場労働へと徴用され、農村の生産力はますます低下する。そこに奇怪な学説が流布される。大量の飼料を必要とする家畜、特に豚の量を減らせば、その分人間に多くのジャガイモが回せるというのだ。飢餓に追い詰められた人々は後に「豚殺し」と称される豚の大量屠殺に駆り立てられ、4か月の間に870万頭もの豚を虐殺したが食肉加工が間に合わず、大量の豚肉を無駄に腐敗させるだけの結果に終わり、人々の食卓により多くのジャガイモがもたらされることにはならなかった。
 
この事態に、事実上全軍の指揮権を握っていた陸軍参謀総長ヒンデンブルク、次長ルーデンドルフのコンビは、カイザーとベートマン首相に無制限潜水艦作戦の再開許可を強く求めた。100隻のUボートをもってイギリスへ向かう商船を片っ端から撃沈し、通商を徹底的に破壊すれば5か月以内に彼らは降伏するだろうと言うのである。アメリカは怒り、参戦を決意するかもしれないが、50万に過ぎないアメリカの兵力はメキシコとの泥沼の紛争に足を取られ身動きできない状態だ。たとえウィルソンが参戦を決意したとしても、彼は議会に宣戦布告の決議を求め、徴兵令を施行し、大量の民間人を徴集して激戦のヨーロッパ戦線で戦える兵士に仕立てる訓練を施してからでなければ彼らをヨーロッパに送り込むことはできないのだ。それにはおそらく2年を要するであろう。したがって我々は、アメリカの参戦を恐れることなく、あらゆる戦術を駆使して敵に大打撃を与え、戦争を早期に終結させることに全力を挙げるべきなのである…。