その夜、私たちは再び函館山に登った。もちろん函館の夜景を見るためである。映像では何度も見ているのだけれど、やはり実景を見なければ来た甲斐がない。当初はロープウェイで往復するつもりだったが、それでは「山麓駅」で二度も乗り換えをしなければならない。それは寒空に薄着の私には耐えがたく、結局駅前から山頂へ路線バスで往復することにした。

バスは空いていた。この分なら山頂も空いているだろうと思ったのだが、案に相違してそこはあふれんばかりの混雑であった。観光客の大半は団体客で路線バスではなく貸切の観光バスで来るのであった。その主体は中国人と修学旅行生である。甲高い中国語と若者の歓声が山を覆っていた。

人々はフェンスに寄って眼下の光景に歓声を上げ、長い棒を付けたカメラで写真を取り、もう一度眺めては場所を譲って建物の中に入る。いかにこの夜景が素晴らしいとはいえ、そう長くは見ていられないのである。おかげで客の回転がよく、待つほどもなくフェンスまで行って、じっくりと景色を眺めることができる(といっても私たちだって、そう長くはいられないのだが)。

私たちは香港のビクトリア・ピークや神戸の六甲山頂から見る夜景も見ているので、それらと比べれば規模の小さい(であろう)函館の夜景には実はそれほどの期待はしていなかったのだが、意外にも(と言っては函館市民に失礼だが)広大な面積に大量の光が満ちあふれているのであった。函館市は渡島半島の奥まった所にあり、あたかも半島をミニチュアにしたような形に伸びた砂州の上に築かれている。函館山はその先端にあるのだから、頂上から見下ろすと、砂州の両側の暗い海を背景にして、あたかも砂州全体が光に包まれているように見えるのだ。これはまぎれもなく最高の絶景である、と私は感嘆した。妻も凄いね、と息を呑み、香港や神戸より街の光がずっと近いんだね、と言った。

私は、ああそうだな、と同調した。たしかに香港や神戸の夜景は実際の光の量は函館よりずっと多いのかもしれないが、函館山とその麓に広がる函館市の光景は、すぐ間近に見えるのである。函館山は300メートルくらいの低い山で、函館市はそのすぐ山麓まで幅の狭い砂州の上に建物や道路が密集する町だということが、夜景の美しさと見た目のスケールを増し、さらに両側が真っ暗の海であることがその効果を最大限に引き立てているのであった。その上に、今では目に映る光のほとんどがLEDに変わっていることも景色の鮮やかさ、明るさを増幅しているのかもしれなかった。

いずれにせよ、この風景はたしかに美しく、このために函館に来たとしてもまったく後悔する気にはならないだろうと思われた。私たちは深く満足し、夜の冷気漂う場所を譲って建物に入り、階段を下りて駐車場に出て、バスを探した。そこに私たちの乗って来たバスが止まっていた。私たちは急いで中に入り、寒さを逃れた。去るには惜しい景色ではあったが背に腹は代えられない。早く駅に帰って何か暖かいものでも腹に入れよう、と動き出したバスの中で妻と話し合ったのであった。