普仏戦争、露土戦争を最後としてヨーロッパの戦乱はひとまず収まり、外交の時代が戻ってきた。主役はやはりビスマルクであった。ドイツ統一を果たした彼には、もはや戦う理由がなく、どの国からであれドイツに敵意を向けられたくなかったのだが、復讐に燃えるフランスとの友好関係はありえなかった。そこで彼は周辺国との同盟交渉に乗り出し、フランスの封じ込めを図る。1879年、まずバルカン半島を巡ってロシアと厳しく対立するオーストリアと攻守同盟を結ぶ。続いてオーストリアとロシアの和解を画策し、1881年、強硬派のロシア皇帝アレクサンドル2世が爆弾テロによって暗殺され、皇太子アレクサンドル3世が即位した機を捉え、独・墺・露のいわゆる「三帝同盟」を締結する。各国はいずれかの国が他国と交戦する場合には中立を保つことが約され、ドイツ、ロシアはオーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合することに反対しないと表明した。
オーストリア帝国皇太子ルドルフとベルギー王国の王女シュテファニーの結婚式が挙行されたのはこのような時であった。妻を迎え、一家の主となったルドルフは国家の政策に歯に衣着せない批判を口にするようになっていた。彼は反ドイツ感情を隠そうとせず、ドイツとの協調を強める政府にたびたび警告を発した。1883年頃からは、自由主義的な主張を掲げる新聞にしばしば意見を匿名で発表もしていた。彼は父皇帝と違ってフランスに親近感を抱き、いずれはハンガリーを分離してドイツ人による純粋なオーストリア帝国の建設を構想していたようである。それは「(全民族が)一致協力して」を標語とする父皇帝の政策とは相容れないものだったが、フランツ・ヨーゼフ帝は未熟な皇太子の意見など歯牙にもかけず、その心情を理解する気もなく、政務のごく一部さえも彼に分与しようとはしなかった。
絶対君主制とは、よくも悪くも君主の能力と個性に国家の命運がかかる政治体制である。その権力は血統によって世襲されるので、後継者たる皇太子には将来の皇帝たりうる資質を養成するために幼い頃から特別なカリキュラムが組まれる。ルドルフの場合は祖母ゾフィーの意向で厳しいスパルタ式教育が実施された。皇帝たる者、何事にも怯んではならないという理由で就寝中に空砲をぶっ放したり、冷水に浸けられたりしたといわれる。ほとんど幼児虐待に近い扱いに母シシィが抗議し、養育権を奪回して新しい教育係を任命すると、今度は打って変わって放任されたり、と教育方針は一貫しなかったようである。
ルドルフには一時50人もの教育係がいたという。だがどれほど優秀な教師を数多く抱えても、決して教えられないことがあった。人と人の間には無私の情愛がなければならず、それは肉親との触れ合いと共感を通してしか身に付かないのである。だが宮廷を嫌悪して流浪の旅を続ける母と、君主の義務に身を捧げること以外に余念のない父からは決して与えられないものだった。ルドルフは彼なりの帝国のビジョンと知力を持ち、政治への意欲を持ち合わせていたが、父皇帝とコミュニケーションを交わし、少しずつ互いを理解し、自分の時代が来るまでに必要な人材を回りに集め、継承の時を待つ、という忍耐力と自制心は持ち合わせていなかった。
頑健無比の皇帝の治世は既に30年を越えていたが、実はまだその半ばにも達せず、若き皇太子ルドルフには知る由もないが、父はそれからさらに35年の長寿を保つのである。
フランツ・ヨーゼフ帝は歳と共に保守姿勢を鮮明にし、新規なものを嫌い、永く自分に仕えて信頼の置ける古参の臣下を重用した。彼らは一度その地位に任命されると、よほどの失敗でも犯さない限り、その職務から追われることはなかった。官吏は地位を保証され、年月と共に昇格し、30年間無難に努めると年金が支給された。長く平和に勤めることを旨とする小役人の投げやりな仕事ぶりは王朝崩壊まで変わることがなかった。人事の停滞は覆うべくもなく、市民の圧倒的支持を集めウィーン市長に選出されたカール・ルエーガーは皇帝の反対により何度も就任を拒否され、心理学の創始者シグムント・フロイトは教授の地位につくまで何年も待たされたが、皇太子に比べればまだ幸運であったかもしれない。
1882年、独墺軍事同盟にイタリアが参加する。フランスの攻撃を警戒するイタリア、ドイツと、隣国イタリアとの国境を穏やかにしておきたいオーストリアの利害が一致したのである。フランスはさらに孤立を深め、ほとんど恐怖した。小国にすぎなかったプロイセンにさえ完敗したというのに、敵は今や統一ドイツとなり、ロシア、オーストリアに加え、イタリアまでも味方につけたのである。フランスはドイツに対抗する同盟の相手を求め、イギリスとロシアに接近する。その必死の努力が報われる時、人類史上類を見ない大戦争の構図が完成するのであった。
一方、ビスマルクの努力にも関わらず、バルカン半島の緊張は深まるばかりであった。ロシアの支援するセルビアがブルガリア、ルーマニア等の周辺諸国を圧迫し、ボスニア・ヘルツェゴビナを占領するオーストリアとの対立が抜き差しならなくなってきたのである。大国の支配力が弱まると複雑に入り組んだ民族、宗教対立が火を吹くのが昔も今も変わらないバルカン半島の宿命である。オーストリアは火中の栗を拾わねばならない運命を自ら選んだのであった。(続く)