今日は、風が強くて寒いですが、

私は大学で今年度最後の授業でした。

 

今年度は民俗学について学びました。

 

今期はシャーマニズム研究でしたが、

来年はこの授業は開講されません。

 

本当に受講できて幸いでした。

 

日本全国には土地によっていろいろな言い伝えや風習があります。

 

戦後、急速に近代化が進み、それまであった祭りなどの年中行事や儀礼は、

謂れを知る人の継承が途切れ、その意味がわからなくなったり、

地方では人口が流出し祭りそのものが無くなった所も出ています。

 

日本各地の言い伝えや風習、文化を現地調査した研究結果を学ぶのは、

日本人の生き方や考え方、とらえ方を知ることにもなるので面白いです。

 

 

今期は、シャーマニズムには欠かせない憑きものについても学びました。

 

憑きものとは、ネガティブな憑霊(ひょうれい)で、

その人にとって都合の悪いことや

災いの原因として説明に使われます。

 

人間に憑くものはさまざまです。

 

動物霊が多く、 

狐 狸 猫 猿 蛇 河童 犬神 とうびょう いづな・・・などが多いですが、

人間の死霊、生霊も。

 

生霊は古典の『源氏物語』にも出ていますが、

憑かれた方も生霊になっている方もとても弱ります。

生霊になっていると、肉体を抜け出すのでとても疲れますが、

本人は気づかないでいる場合も多いですね。

 

 

授業に取り上げられたのは、

中国四国九州地方に多い

キツネ

イヌガミ・・・

 

さらにこれも、2つのパターンがあり

憑(つ)く

 

持つ/つかう

 

 

この違いは、

動物霊が憑くのは特定の個人であり、

個人に憑くと時には目つきがキツネそのもののようになったり、

話し方も声色も変わってしまうこともあります。

 

この場合には、祈禱をして祓います。

 

 

持つは、家です。

 

つかうのは、力のある術者ですが、

問題は持つの場合です。

 

持つ場合は厄介です。

持つには、飼う 祀ることも含まれます。

 

あくまでも家が対象です。

加えて、その人物の意図を汲んで勝手にとりついてしまう場合があります。

 

 

 

そんな大正時代にキツネ持ちの家に生まれた当事者が書いた本が授業で紹介されたので

図書館で借りたら・・・

 

 

郷土史に興味がある旦那様が先に読みました。

 

 

『 出雲の迷信 

  「狐持ち」迷信の民俗と謎ー 』

 

速水 保孝 著  学生社

            昭和51年1月 初版発行

 

 

作者がキツネ持ちだと知ったのは、

後に東京大学へいくほど優秀だった作者が小学5年の頃、

成績優秀で先生にみんなの前でほめられた後、

その事をねたんだ友人に

「キツネを使っていい成績をとったんだろう」

「おやかただから先生がひいきしたに違いない」

と言われた時でした。

 

キツネ持ちの家は裕福ですから、

妬みや嫉みの対象となり、村八分として差別の理由に使われます。

 

本人には選べないこれらを持っているというだけで、

結婚したくても大きな障害となって現れます。

 

この本は、

山陰の「人狐」と土佐、九州東部の「犬神」とはどう違うのか

いつの頃からキツネ持ちが発生したのか

なぜキツネ持ちにされたのか

どういう扱いを受けたのか

出雲・伯耆・隠岐にキツネ持ちが多く、真宗系の北陸・石見になぜ少ないのか

山伏・密教系僧侶の果たした役割は何か

 

近世農村において信仰から迷信となったキツネ持ちに時の為政者はどう対応したか

明治維新でキツネ持ちはなくなったか

 

丁寧に調査され、社会的な理由を解明しています。

 

 

古い文献によると、

出雲でキツネ持ち第一号が出たのは、享保年間で18世紀前半です。

 

キツネ持ちとされたのは、地主

 

富裕を鼻にかけ、小作人から搾取した地主が、

恨みを持った小作人と

小作人の家に出た病人を狐憑きとし、その狐は地主の家で飼われている狐だとの託宣を

山伏がばらまき、キツネ持ちにされました。

 

その山伏は、狐神を信仰すれば富を得ることができ、

野狐や小狐が人にとり憑くと病気やその他の災厄を招くという従来からの民間信仰を特定の地主を排斥するために結び付けました。

 

時には困ったキツネ持ちの家が藩主に願い出て、沙汰が出ますが効き目は・・・。

 

島根に滞在していたラフカディオ・ハーンの記述にもキツネについて出て来ます。

 

「当時の百姓たちは、キツネ持ちの親玉は、

なんといっても出雲の殿様、松平様だと思っていた」

 

百姓たちからすれば、藩主も士族もみなキツネ持ち

 

 

 

やがて近世へと時代は下り、キツネ持ちとされたのは、

村へ入り込んできたよそ者で、急速に成金となった新興の地主でした。

 

元々その土地に住んでいた土着の百姓たちが、

村の秩序を乱すものとしてキツネ持ちというレッテルを貼りました。

 

村からの村八分としての扱いを受けます。

 

キツネ持ちは「黒」そうでなければ「白」という隠語なども使われます。

 

一度成立してしまえば、この理由は行者などの祈禱師に便利に使われるようになり広がりと定着をしてしまいました。

 

たとえ昔からの土地の者であろうと自分達に気に入らないものは、キツネ持ちにしてしまうこともありました。

 

キツネ持ちが多い地域でも、発生原因や事情は少し違ってきますが、

この差別は婚姻の時に最も強く現れ、

好き同士であっても決して許されないという悲劇が昭和になっても数多くありました。

 

親戚に連なったものもみなキツネ持ちにされてしまうからです。

 

 

戦後、時代の流れや作者の努力などもあり、

昭和30年代、キツネ持ちは迷信だという認識は広がりましたが、

実際に自分の子供が結婚するのはイヤだと思っている人は多く差別の解消は・・・。

 

 

身分や経済格差が妬みや恨みを招き、その原因をキツネ持ちにすることで鬱憤を払っていた一面はあることでしょう。

 

貨幣経済や一部の為政者との2極化の構図が見てとれます。

 

平成の時代も終わりを告げようとしています。

 

今は、これらからの脱却が求められる時代に入りました。

 

 

日本人には多いのですが、頭ではわかっていても、

自分だけがみんなと違うことをしてしまうことへの不安があります。

 

何かを変えようと思えば勇気が要ります。

 

 

集合意識には力があります。

 

より善い物を望む意識は善い循環を生みます。

 

西洋の個人主義の自分さえ良ければではなく、

古来から日本人の持つみんなで一緒に喜べる社会になるように

愛と知恵を使うような高い霊性が育つ社会でありたいですね。

 

本日も読んでいただきありがとうございますドキドキ