事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。いかに老練な劇作家でも思いつかないであろうブラックな状況を、歴史は用意している。この物語は80年代の東ドイツで活躍したシンガー・ソングライターを描いたものである。ベルリンの壁崩壊後の90年代。主人公ゲアハルト・グンダーマンは、もうじき父親になる、というタイミングで登場する。家庭では妻コニーの良き夫であり、職場では同僚からの信頼も厚くリーダー的な存在。偶像崇拝はしない、と言ってボスとは衝突して来たが、それとて職場の同僚から好感を持たれる要因である。炭鉱を職場とする彼は、働きながらバンドを組み、労働歌を朗々と歌いあげる。中でもギター1本でグンダーマンが唄う冒頭の歌は、彼の人生の軌跡と内的世界を表現している。〈大きくなって自分の靴をはいた〉〈子供部屋のかわいい扉は閉まった〉〈父さんがくれたコートと青い帽子〉〈涙流しながら母さんが作る甘いバターパン〉〈いつでもどこでも草は育つ〉〈高く強く緑に〉〈何も知らない草刈り機が〉〈音を立ててやって来るまで〉・・・冒頭の歌は、この後に続く物語の伏線でもある。

 

ただ単に郷愁を誘っている歌のようにも、「草刈り機」を体制に、「草」を民衆にたとえて、権力の暴走を唄っている歌にも聞こえるのだ。もし政治的に解釈するなら、これほど反体制的な歌詩は無い。この導入部によって、主人公は東ドイツ時代、出世から外された人物なのだろうと予想させる。だが、残念なことにこの予想の半分は当たっていない。反体制的な歌を唄いながら人気を博する反面、グンダーマンはシュタージ(秘密警察)の手先となって同僚や友人を密告していたのである。

 

 

グンダーマンは友人に告白し謝罪する。そして告白を重ねていくそのプロセスは、彼の周りから友人が去って行くプロセスとなる。当時の東ドイツとグンダーマンを知っている観客は、どんな想いでこの作品を観るのだろうか。劇中のグンダーマンは、どう考えても理解不能なことも言っている。たとえば妻に「(シュタージに協力していたことを)忘れていた」とか。それが自然に思えるほどの人物像なので、それを聞いた妻の驚きは苦笑に変わる。少なくとも私は、社会的な制裁を受けているグンダーマンを断罪する気にはなれないのだ。そこには、主演のアレクサンダー・シェアの恐ろしく力量のある演技も、少なからず影響してはいるが・・・。淡々と仕事を続け、歌を唄い続けるグンダーマン。巨大な重機の掃除をしながら、夜勤明けの美しい空を歌に読み込む彼は、美形では無いもののいい顔をしていて、とても暗い過去がある人物には見えないのだ。普段はピュアリティの人だが、影ではシュタージの歯車の一つになっていたグンダーマン。この恐るべき二面性を1人の人間の中の単なる矛盾とするのは、違うだろう。人の心を掴む歌を唄う芸術家を、そして彼の野心を、シュタージは何のためらいも無く、えんぴつ1本消しゴム1個のように利用したのだから。

 

 

「グンダーマン 優しき裏切り者の歌」

近日公開。