戦中戦後の沖縄県知事・島田叡(あきら)を描いたドキュメンタリー「生きろ 島田叡 ー戦中戦後の沖縄県知事」の佐古忠彦監督にお話を伺いました。

 

沖縄の最後の官選知事だった島田知事は、沖縄県庁に来てすぐさま、疎開するよう住民を説得し、食糧の確保に取り組みます。

戦況が悪化の一途をたどる中、住民を守ることに勤めましたが、現実には軍との板挟み。更に軍の方針に異を唱えたことで、冷遇されました。佐古忠彦監督は、写真2、3枚以外、本人が残した日記などの資料が無い島田叡という人物について、証言を掘り起こし、島田叡の実像を浮き彫りにしています。

 

佐古忠彦 監督  3月9日 シアターセブン

 

【Q】 3月6日に沖縄で先行公開されました。 沖縄での島田叡知事の知名度は高いのですか?

【A】 もう、もの凄く高いとは言えないと思います。島守の塔に個人名で慰霊の対象になっている本土の人って、どういう人だろうか、と最初は思っていました。沖縄の人では無いですが、ただ、沖縄戦のさなかに来た知事ということでの知名度はあります。それ以外、こういう目に遭ったということは知らなかったかもしれない。

 

【Q】 沖縄の人から悪いイメージは持たれていますか?

【A】 悪いイメージというより、批判の声はある。戦争を遂行する立場だったわけだから、軍と協力していたのではないか、と。国の方針で沖縄に辞令で行って、前任の知事のこともあり、そこに島田さんがやってきて、当然、軍とうまくやれ・・・ということも求められただろう。一方で、軍とうまくやるということは、住民を守っていくということとは、相反することです。相当苦しんだと思う。

 

それに、人間的に素晴らしいということはわかるが、知事として何をしたのか、ということで批判する人も居る。でも私は、今回映画に盛り込んだ覚え書きも含めて、なるべく「功罪」を両方提示して、人間として何をしたかに着目するべきだと思った。「生きろ、」と言う言葉に象徴されるが、人間の尊厳をちゃんと大切に考えていたのは、彼の素晴らしいところだったと考えています。島田さんの言葉で生き延びた人も居るだろうし。その一方で家族がみんな犠牲になった遺族にしてみれば、やはりそういう立場で来ている人。そこは“こういうイメージ”と、ひと言で片付けることは出来ない人物です。でも、劇中にあるように、亡くなられる前の大田昌秀・元沖縄県知事が、行政官として尊敬すべき人物、と言われました。

 

 

【Q】劇中に少年警察官だった上原さんという人が出て来ます。私は初めて少年警察官という言葉を聞いたのですが、スパイのような仕事だったのですか?

【A】そういう仕事ではなく、恐らく補助的なことです。警察部長が「トイレに行く」と言ったらお連れして、帰って来たら靴を脱がせて・・・。そういうことをやっていたらしいですね。同じように島田さんにもやろうとしたら、「いいから、いいから」。島田さんはそういうことをさせなかった、という話をしていました。少年警察官と言っても、実際あの時、人々を取り締まることが出来ていたかというと、それどころじゃない。普通の警察官とまでは言えなかったんじゃないでしょうか。後は道案内。交通整理をする仕事があったらしいです。当時、警察って県庁の組織の中にあったんです。だから、一緒に行動しているんですよ。

 

そして、上原さんは(県庁解散より)早くに別れています。県庁壕から島田さんたちが出て行くより随分前にです。辞令が出て、糸満警察署に配置換えになっていたらしいです。糸満のある所で交通整理をしていて、黙々と人々が泥の中を歩いていた、と。夜になって歩き出すので、夜中も歩いている。照明弾が上がって明るくなっていろんな物が見え出します。すると、みんな黙々と歩いていた、と。そういう話をしてくれました。そういう話は伝えないといけないと思う。

 

 

【Q】牛島満第32軍司令官のお孫さんに当たる人が、ずっと沖縄戦の研究を続けていて、本土の為の沖縄戦だったと言っておられますね。

【A】お孫さんは40歳になるまで、沖縄には行っていなかった。元は小学校の先生なんですが、お孫さんに責任は無いけれど、

沖縄では牛島満第32軍司令官は、南部撤退をした張本人ですから。お孫さんとしても、ずっと考えている時期があったと思う。

40歳になった時、何か戦争に関する集まりがあって、「君にしか出来ないことがあるんじゃないの?」みたいなことを言われながら沖縄に通って、なぜお爺さんがそういう決断をしたのかを、考えて来たらしいです。牛島満さんに接したことのある人の中に、牛島さんは好々爺みたいな人で、“ああ、学生さん、学生さん、”っていつも声をかけてくれる、優しい人だったという証言がある。そんな優しい人が何故あんな道を取り得たのか。

 

南部撤退そのものが大本営からの命令では無いというのを、お孫さんの牛島さんがおっしゃってるんです。自分達で考えて南部に下って留まって、戦争をやめなかったわけですね。それは闘っている姿勢を示すことが、大事だったということではなかったのか・・・と、おっしゃっていました。“やってます”というか、今で言う忖度の一つの現れだったのかなと思うと、それで巻き添えになってる住人はたまらない。それはその時代の有りようですね。

 

 

【Q】映画は、前作からずっと、山根基世さんがナレーションに関わっておられます。本作の内容は凄まじいものですが、あのソフトな語りは、観る者の感情を煽らないので、凄いと思いました。

【A】沖縄戦をテレビで作って、その時、山根さんにお会いしました。怒りの所は怒って読めば、もっと(内容の)怒りが伝わるかもしれない。でもそれって何かが違う。むしろやらない方がいい。自分自身はテレビに出ていた人間で、まだ若い頃はナレーター、取材者として出たりしていましたが、今は極力、自分の存在を消すことに徹したい。どうしても映り込んでしまったりとかはしょうがない。山根さんの語りは、別にそうしてくださいと言わなくても、山根さんが(ソフトに)語ってくれる。目立ち過ぎず、控えめ過ぎずという山根さんの感性で、凄く尊敬している人です。

 

  

 

監督 佐古忠彦 

プロデューサー 藤井和史 刀根鉄太

撮影 福田安美

音声 町田英史

編集 後藤亮太

音楽 兼松衆 中村巴奈重

語り 山根基世 津嘉山正種 佐々木蔵之介

(2021/日本/118分)

©2021 映画「生きろ 島田叡」製作委員会

3月20日 ユーロスペース

3月26日 京都みなみ会館 

3月27日 第七藝術劇場、神戸元町映画館

全国順次