本橋さんは1968年に、初の写真集「炭鉱(ヤマ)」で第5回太陽賞を受賞されて写真家への道を歩きだしておられます。しかし太陽賞をとった後は、トントン拍子かというと、そうでも無

かったと言われます。いつ写真と出会い、いつ映画と出会ったのでしょうか。本橋さんにうかがってみました・・「ちょうど実家から自転車でちょっと行った所に学校があったので、写真の

学校に行かせてもらいました。卒業制作に何を撮ろうか、となって、その6年前に土門拳の「筑豊のこどもたち」という衝撃的な本がありまして、今言うと恥ずかしいんですが、こういうのを

撮りたい、と思ったんです。それで、卒業制作は筑豊へ行きました。その当時の筑豊は、末期の状況でした。そこで、「追われゆく鉱夫たち」という本を出しておられた上野英信さんのところ

へ。当時、マスコミは、カメラマンでも、筑豊にはたくさん来てたんですね。まだ学生だった僕が来て、写真を撮りたがってる、と聞いて上野英信さんは、僕に説教なんかはしないけど、いろ

んな所へ連れて行ってくださいました。卒業制作はパスしましたが、何か終わった気がしなかったんです。それで、その写真集が、後からですけど太陽賞になって、僕も文字ではなく写真で、

民衆の記録が書けたらいいなと思ったんです。・・(つづく)・・・