別れの日 | 着物と私

着物と私

家族が大好き、我が家が大好き。優しく穏やかで静かに暮らしたい。

楽しかった夏休みの旅行も最終日

私たちは夕方のフライトまでの時間を精一杯楽しんだ。

朝食を早々に済ませ、恩納村の万座毛へ。

その後、一気に南下し、戦火に散っていった方々に手を合わせ平和を誓った。

最後は首里城を見納め、沖縄での旅行は終わった。





ここ10年ほど毎年訪れる沖縄。

なぜ沖縄なのか? それは姉が暮らしているから。

私と姉は1年5ヶ月の歳の差があり、

詰まらないことで姉妹喧嘩ばかりしていた。

TVのチャンネル、お風呂の順番、洋服を勝手に借りた、 などなど。。。





姉は高校を卒業後、銀座のデパートに勤めた。

2年後、私は日本橋の企業に勤め始めた。

会社帰りはいつも銀座に寄ってショッピング。

たまに姉の仕事上がりを待ち一緒に帰宅もした。

ある日、私は新しいハイヒールが足に合わず痛くてたまらなかった。

姉は帰りの電車の中で自分の履き慣れた靴と私のハイヒールを交換してくれた。

テレビの深夜番組を二人で遅くまで見たり、

私の好きなアーティストのLP(古いですね・・・)を姉が買ってきてくれたり。

大人になってからの私たちは段々と良い関係になっていった。




中学生くらいだっただろうか。

私は姉と自分の歳の差が悔しかった。

1年と5ヶ月の歳の差。

この年月はどんなに頑張っても縮めることが出来ない。

それはどう言う意味かと言うと、

自分と両親が一緒に生きる時間が 姉と両親が一緒に生きる時間よりも

一年と5ヶ月短いのが たまらく悔しかったのだ。




だけど 今 私は両親のそばで暮らし 姉は遠い地で暮らしている。




一緒に過す時間は確実に私の方が多い。




でも、そんなんじゃないんだよね。




時間とか距離とか そんなもので測れるもんじゃない。











今年の帰りの飛行機は満席で、私たち家族は全員がバラバラの席になった。

搭乗ゲートで姿が見えなくなるまで手を振り続けた私と姉。

心が震えた。

また今年もお別れの時がきました。

元気でいてね。

また会おうね。

無理して笑い顔を作りつづけた。







飛行機の座席につくと、両親や姉や姉の子たちの顔が浮んできた。

今度いつ会えるの?

今度いつ会わせてあげられるの?

今度いつ連れてきてあげられるの?

今年が最後になるかもしれない。

来年どうなるかわからない。






今までも、いつも帰りの便は寂しい気持ちで一杯だったけど

いつも主人が隣に座っていてくれた。

今年は 一人。

だから 素直に泣けた。

隣に見知らぬ人がいたけど、涙を見られたって構わない。

悲しい物は悲しいんだから。

涙は止め処なく頬を伝っては落ちていった。

「お姉ちゃん」

やっぱり姉妹って 姉妹だよね。

世界でたった二人の姉妹だもんね。





飛行機が飛び立ち平行飛行になったころ やっと涙が止まってくれた。








逢いたい人のために頑張るよ

愛する人たちのために頑張るよ


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