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Bunbunのブログ

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私が60歳まで金融機関で働いていたが、今は豚丼屋の自動車誘導係として働いている。学生時代、鉄筋会社の土場で鉄筋を加工し、建設現場へ持ち込み鉄筋基礎工事のアルバイトをしたことはあるが、駐車場の旗振り仕事は初めてであった。

私は身体障害者で、走ったりするのでリハビリになる。賃金ももらえるので、まさに一石三鳥である。異業種の仕事で分からないことが多く苦労するが、頭も使うので認知症の予防にもなる。

私の友人も同じ金融機関にいたが、退職してから都内の自転車置き場の整理員になったらしい。彼は私と違って人望もあり、大阪支店長になったエリートである。第二の人生に彼は、なぜそんな似合わない仕事を選んだのだろう・・・・。彼は若くして二人の子供を難病で亡くしていたので、何か思うところがあったのだろう。

既述のとおり私は障害者であるが、人間は同じ環境に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からないのである。私が、現場に赴き、現物をとって、現実を知るという三現主義を大切にしているのはそのためである。

ところで、公務員をしていた多くの人は、第二の人生を天下りする人が多い。民間会社では利益を追い求めるから、双方にメリットがあるからなのだろう。私の官僚だった知人は、50歳の時に脳出血を患い退職を余儀なくされたがそれからがすごい。退職してから障害者のためにリハビリの会社を作り、自分なりの役割を果たしている。

日本が再生するためには各自が能力を発揮し、自分の役割を果たすことだと思っている。ただ、生乳を捨てる国だから未来を政治家に託すことには危険がある。だから、自分の目や耳でしっかりと見て聞いて、統一選挙に一票を投じることだろう。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

31日付け北海道新聞(1面)に、国内主要8社によって作られた新会社ラピダスが、千歳市工業団地に半導体工場を建設することが大きく載っていた。驚いたことに、10年間の投資額がとして約5兆円が予想されており、北海道の歴史の中で最大の投資案件になるそうだ。

北海道は食と観光が主要産業であったが、これにハイテク産業が加わることになり、これによって人口が増えて北海道の良さがたくさんの人に分かってもらえば大変なことになる。

2019年度の産業別総生産の割合で北海道は、農業などの1次産業のウェイトが全国の約4倍、逆に2次産業の製造業のウェイトが9.4%で、全国平均の半分である。ラピダスの進出は、道内経済の産業構造に変化をもたらすものである。

いろいろな意味から無限の可能性を秘めた投資で、北海道は人口減少による縮小社会の到来から悲観的に考えていたが、久しぶりの嬉しいニュースであった。

日本の半導体は1980年代、世界シェア50%ほどをしめていたが、国ぐるみで企業育成していた台湾や韓国などに競り負け、現在では10%ほどに落ち込んでいる。産業のコメと言われる半導体産業が復活すれば、日本の復活にもつながる。ラピダスの事業の成否は、日本経済の将来を占うものと言っても過言ではない。

驚いたことにはもうひとつある。この工場進出のことは、テレビや新聞で何回も載っていたが、愚息に話すと全く知らなかったのである。無知であるということは、恐ろしいことである。愚息は小さな民間会社で働いているとは言え、このような日本や北海道の将来に関係していることは、無関心ではなく知っていてもらいたいと思った。

「十勝の活性化を考える会」会員

先日、樺太アイヌ史研究会編「対雁の碑~樺太アイヌ強制移住の歴史~」の本を読んだ。 この本は、悲惨と苦悩を極めた樺太アイヌの知られざる強制移住を書いており、その一部は以下のとおりである。

『 1875年(明治8年)57日、日本とロシアの間に、「樺太千島交換条約」が締結されたことによって、同年9月樺太から841名の樺太アイヌの人たちが宗谷に移住させられた。そしてさらに翌年の1876年、彼らは日本政府の一方的な国策から、札幌近郊の対雁(現在の江別市)に強制移住させられた。

元来、漁労採集生活を行ない、他の北方千十民族との交易交流を作った樺太アイヌの暮らしは、北海道アイヌがそうであったように、自然との調和に満ちた伸びやかなものであった。

しかし、この1世紀余りの間に近代国家のつばぜり合いの舞台として、北の島々・北の大地は一方的な力関係によって、大きく塗り替えられていったのである。樺太アイヌ841名が辿らされた史実は、現在もなお、北海道やサハリンに在住するその末裔たちの上に、複雑な問題を投げかけている。

日本という国が、真に人権と平和を尊ぶ国として21世紀へ向かうためには、先住民族問題を解決していくことが急務であるし、私たち一人一人が史実の検証者であらねばならない。明治初期に行なわれた樺太アイヌ強制移住という暴挙を、専門家ではない我々が調査を続け一冊の本にまとめたかった真意はここにある。

(後略)』

樺太アイヌの問題は、樺太の歴史を知る必要があります。樺太の歴史を簡単にまとめると以下のとおりです。

1809年:間宮林蔵が、樺太が島であることを発見

1875年:樺太千島交換条約の締結 (樺太アイヌの国内への強制移住)

1895年:日露戦争の結果、樺太を南樺太と北樺太に分割

1945年:太平洋戦争で、樺太全島をロシアが実効支配

1905年(明治38年)から1945年(昭和20年)までは、北緯50度線を境に、南半分を「樺太(カラフト)」として日本が、北半分を「サハリンとしてソビエト連邦が領有していた。戦後はソビエト連邦及びロシア連邦が樺太南部も実効支配している。人口約50万人で最大都市はサハリン州の州都でもある人口約20万人のユジノサハリンスクである。

樺太アイヌには戸籍がない人もいて、敗戦によって日本に強制移住させられて苦労したらしい。私の知人の祖父は樺太から渡道したが、1950年ごろ網走刑務所に服役したことから戸籍が作られたので、ラッキーの一言と言えよう。

なお、私のいとこの奥さんも対雁(現在の江別市)で生まれたが、すぐに樺太へ移住し、8歳まで樺太にいた。戸籍はあったものの戦後は働く場所がないため、住友赤平炭鉱で働いていたとのことである。

「十勝の活性化を考える会」会員