Bunbunのブログ -18ページ目

Bunbunのブログ

ブログの説明を入力します。

 

先日、友人が地元の「平原社展」に出品する予定の絵画を見せてくれた。友人は今まで20年間にわたって多くの絵画を描いているが、一番素敵な油絵(30号)だと思った。私は絵画を見る目は持ち合わせていないが、出来る限り見るように努めている。

なぜかというと岐阜県に住んでいた時、“美濃焼”メーカーの社長から、「陶器の良し悪しは分かりづらいが、見ていると少しずつ分かってくる」と言われたからだ。陶器の良し悪しは今でも分からないが、絵画の方は、おかげで少し分かってきたように思っている。ただし、作風が変化したといわれるピカソの描いた抽象画は今でも分からない。

一方、陶器のことであるが絵画を描いた友人の奥さんは陶器にも造詣が深い。先日、佐賀県に行って約10万円で買ってきた“伊万里焼”の皿を見せてくれたが、その良さが私には全く分からなかった。きっと、奥さんにはその陶器の良さが分かるのだろう。

絵画や陶器とは関係ないが、俳句に造詣が深い三人が詠んだ俳句がある。俳句を始めて約2年ではあるが、素晴らしい俳句だと思っている。

いずかたも 地は荒らぶれど 福寿草

数え日や からくり人形 追うてくる

盆唄を 遠くに聞きつ ひとり酌む

一句目は、日本の国土疲弊、食料自給率の低下を詠んだもので、まさに減反政策で休耕田が増えている日本の農政を象徴している俳句である。二句目は、高齢女性が人間の寿命を詠んだ俳句である。三句目は、独居老人が詠んだ俳句で、同人誌の春潮巻頭句に選ばれた俳句である。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

帯広出身者らが共同経営する飲食店「ぱんちょす わやだべや」が、東京で人気を集めている。その理由は、糖分が高い十勝産のものを中心に顧客に出しているからである。役員の一人に聞くと、今年中にもっと店舗を増やしていくそうで、その理由は「三方良し」で、従業員が一致団結して働いているからだという。

近江商人の経営理念である「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つを社員に徹底することが、企業が大きくなるための必要条件である。つまり売り手の都合だけで商いをするのではなく買い手が心から満足し、商いを通じて地域社会の発展にも貢献しているのである。

近江商人の経営理念を書いたが、これが中小企業にとっては大変難しい。なぜなら、これには人材投資を含めて、お金がかかるからである。この経済計算ができるか否かが、経営陣の器だと思っている。

中小企業経営に携わってきたものとして思うのであるが、企業が伸びるためには差別化戦略を行なうことである。そのひとつに “オンリーワン戦略がある。

オンリーワン戦略というのは、「他社にない価値を提供し自社を選んでもらう」ための戦略である。自社の希少性を高め、自社にしかない強みを打ち出して、ニッチなマーケットで強い威力を発揮するというメリットで、自社だけの付加価値をつける戦略のことである。

中小企業の場合、経営資源が大企業に比べて少ないケースが多い。そのため比較的少ない投下資金で、高い付加価値をつけることのできるオンリーワン戦略が望ましく、中小企業にとって最も求められるブランド戦略である。これに口コミなどの力が加わると、さらに市場を拡大する。

帯広出身者らが東京という大都市で活躍し、十勝の名前がうわさや顧客の紹介などでどんどん市場が拡大していくのは、十勝人としてもうれしい限りである。

「十勝の活性化を考える会」元会長

          

私は二年前から俳句を始めたが、その効用は以下のようなものである。

  • 頭を使うから、認知症の予防
  • 季語など、語彙の増加
  • 四季折々に対する感受性の涵養など

何事でも同じであるが、“好きこそものの上手なれ”である。季語も知らない自分であったが、七歳年上の女性恩師だった方に勧められて入会したが、多くの人との出会いがあり大変楽しい。

俳句には、常套的な表現は使わないとされている。例えば、星が光るとか、鈴がなる、白い雪などとは言わなくても分かるので、当たり前の形容詞は省いた方が良いそうだ。また、結果や結論も言わないで、読者に連想させるのが良い俳句とされている。

若い人を中心に簡略言葉がはやっているが、俳句や短歌は日本文化のひとつなので大切にしたいものである。すべての趣味についてもいえると思うが、長く行なっていればいるほど分かってくるものがある。“継続は力なり”ではあるが、自分が満足する俳句を作るには、10年はかかるだろう。

俳句ブームの火付け役の俳人夏井いつき氏に言わせると、俳句は病気を治す薬なようなもので、自分が満足すれば良いそうである。ただ、凡人が達人の域に達するためには、毎日の修行しかないだろう。

ところで、日本のわびさびを詠んだ松尾芭蕉の俳句が大きな影響を与えているが、ここで彼が詠んだ俳句を一句。

「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」

これは、とても芭蕉らしい一句だといえる。この句を詠んだ時点で彼は、これが辞世の句となるとは思っていなかったわけであるが、その4日後に天国に旅立っている。彼は、生涯にわたって旅人であった。

また、私の父は65年間にわたって俳句をやっていたが、その中の一句。

「亡夫の待つ 同じ日に逝く 梅雨仏」

これは、妻の母親が75歳で亡くなった時に詠んだ弔句である。たまたま、妻の母親が亡くなった日が、7年前のその父親と同じ日であったために、このような俳句になったものである。妻の叔母は、この俳句をみていつも涙ぐんでいた。

ところで、短歌は31文字で作られているので、俳句に比べてその情景が分かりやすい。短歌で有名な中城ふみ子は、1922年(大正11)生まれの戦後の代表的な女性歌人の一人。帯広女学校(現在の帯広三条高校)出身で、若くしてガンを患いながら歌集「乳房喪失」を出版し高い評価を得るに至ったが、彼女の短歌は次のとおりである。(享年32歳)

「母を軸に子の駆けめぐる原の昼 木の芽は近き林より匂ふ」

「冬の皺よせいる海よいま少し 生きて己の無残を見るか」

「離婚の印押したるのちに自信なく 立てり我は悪妻なりしか」

「十勝の活性化を考える会」会員