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Bunbunのブログ

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私は、常識がひとつであると思っていたが、そうではなかった。 “郷に入っては郷に従え”という諺はあるが、目まぐるしく変わっていく時代だから、古い慣習やルールは改める必要があろう。

一方、「長いものには巻かれろ」という諺がある。強い権力や大きな勢力を持つ者に対しては、敵対せずに従っていくのが良いとする処世術を表す慣用句である。

若い時、大手商社を辞めて自分の親が経営する従業員20人の零細企業に、入社したエリート社員がいた。彼が私に、次のように言った言葉を今更ながら思い出している。「あなたの会社は、良いですね。私の零細企業では常識が通じない」と。

私も先日、ある零細企業と思われる会社のアルバイトをしてみて、自分の常識と違うのを感じた。生産性を上げるべく建設的な意見を言っても、全く受け入れないのである。受け入れて利益を上げれば、従業員の賃金アップにつながり、若い人たちの働く動機付けにもなると思うが・・・・・。

それでは、企業が大きくなるための条件は、いったい何だろう。いろいろあると思うが、私は以下のことを重要視している。

  • 経営者が変わること
  • それにより、従業員も変わる
  • 経営理念を実践すること

以上のことは、簡単であるが大変難しい。しかし、従業員を含めてみんなが幸せになるためには必要だろう。先日、あるバスに乗ったが、以前とは、運転手さんの対応が全く違うのである。それも個人的なものではなく、会社ぐるみなのである。経営者は大変苦労したと思われるが、社員全員が社長さんの思いをやっと理解してくれたと思っている。

バスは、公共交通機関である。コロナ禍もあり、元気の出ない世の中になっており、バス運転手が乗客に元気をくれることは何とも素敵なことだと思っている。利用者には外国人観光客もいるので、帰国してからバスのことを話したら、日本に行ってみたいと思う人も多くなるだろう。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

フランスで、“年金支給年齢”を62歳から64歳に上げることに対して、受給年齢引き上げを軸とする年金改革への反対がさらに激しくなっている。フランス内務省によるとフランス全土で110万人近くが抗議活動に参加し、治安部隊との衝突も相次ぎ、一部は暴徒化しているらしい。

ところで、無い袖は振れぬと言われるが、年金支給は財政改革に関連しているので、日本も同じ事態が生じないとも限らない。年金支給年齢を大幅に上げるか、支給額を大幅に少なくしないと、年金制度は維持できなくなるだろう。

年金が少なくなれば、年金生活をしている人が多いので消費支出が少なくなり、景気は冷え込むことになるのは必至。このように、これからは縮小社会を余儀なくされ、少子化に伴う人口減少はいろいろなところに影響を与えていくだろう。

先日、私立の女子大学が、来年度から入学応募しないそうである。入学定員を割り込み経営を維持するのが難しくなったのが理由らしい。大学への全員入学が可能となった時代とはいえ、このように応募者が少なくなってきたのが現状である。これも、少子化に伴う現象である。

また、スマホの使用により新聞購読者が減っているらしいが、時代の流れとはいえ寂しい限りである。私もスマホを使っているが、自分はアナログ人間なので機能が複雑でついていけない。だから、スマホよりは、新聞を読むようにしている。

なぜなら、スマホ情報は何故だか分からないが、頭に残らないからである。人間は機械ではなく感情のある動物で、それによって行動するのだろう。ただ、人工頭脳(AI)を使った機械もたくさん出てきたので、大いに活用すべきだろう。将棋の藤井壮太六冠もAIを活用しているので、若い人の情報吸収力にはかなわない。

ところで大学のことだが、私は学生数が約千人で、ゼミ生は二人でスタートした。そのため人間関係が濃密で、今もお付き合いが続いている。小さいことがすべて良いことではないが、人口減少により人間関係が濃密になり、住みやすい日本になるのであれば悪い話ばかりではない。

コロナ禍が長引きオンライン授業が行なわれ、人生の友と言われる友人が、学生時代に出来なくなる可能性もあり寂しい限りである。人生を振り返ると友人の助けが大きいので、学生時代に多くの友人に出会い、自分にないものを友人から吸収してもらいたいと思っている。

 「十勝の活性化を考える会」会員

 

 

6年前、脳損傷者と地域住民が共に生きる社会づくりを目指す「第7回日本脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会」帯広大会が、とかちプラザで開かれた。

道内では初の開催となった大会には、全国各地から当事者や医療・福祉の関係者ら200人以上が来場。共生社会のヒントを共有し、交流を深めた。その際、自分と同じ脳出血を罹患した中途障害者の方が登壇した。彼は官僚であったが、50歳の時に罹患しタダの人になった。

しかし、それからがすごい。彼は、障害者のためのリハビリ・スポーツに関する一般法人を作り、講演活動を行なうなど自分の役割を果たしている。そのため以前、中小企業者の経営者などで組織されている会の講師を依頼したことがあったが、見事に断られた。

その理由は確かではないが、中小企業経営者の中には、自分の企業の利益だけを追い求める企業が多いことが理由かも分からない。なぜかと言えば、彼は近江商人の経営理念である“三方良し”を常に目指しているからである。

彼が書いた“支えられることは支えること”の文章は、以下のとおりである。

『わがも批准している障害者は、障害のある人だけに利をえたものでなく、障害のある人も障害のない人も、“すべての生活者”に利を有しています。

現在私は、定期的に療や福祉サビスを受けています療や福祉をはじめとして多くの社組織には、「施す」側と「受ける」側の存在があります。そこには自ずと、上位にある側と下位にある側との係があります。療では、師と患者。福祉では、支援者と障害事者といった具合です。

それは意識の根底に、自分が他者にして何ができるかという、いわば上位に立つ無意識の思いみが忍びんでいることもあります。障害のない人から見て多くの人は、障害があるから「できない」という思いみは、づかないうちに行動、言動に表れるもので、私は何回もそういう況を経験しました。

最近、人が人を世話したり支えたりすることは一体どのようなことか、そして人として、そこにどのような課題があるのかを考え始めました。このことは、立場が入れ替わったときにはじめて本付くものです。

現在私は里山に移住し、自分が暮らしけたい場所で豊かな人間係にまれ、社的役割や自己肯定感をもって生き生きと田暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。

これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワクとして、誇りと尊をもって人間らしく自分らしく生きられる社を創り出したいと考え、活動の支えになっています。

私は病以、多くの人の支えでここまでることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出で勇をもらい、そこからこころのきっかけ”が生まれました。

今度は、中途障害を持ったからづいたこと、障害があるからこそ果たせる役割があると考え行動しています。私にとってのエンパワメントは、社的障壁や不均等をもたらす社的メカニズムの革を考えています。』

この文章にも書かれているように、人は”支えられることは支えること“である。私は多くの人に支えられてきた。毎日、病院に来た妻、息子、そして、毎日のように見舞いに来た同期入社の友人、多くの知人などに支えられてきた。今度は、私が支えることであると思っている。

ところで、障害があるから「できない」という健常者の思い込みは、気づかないうちに行動や言動に表れるものである。この文章を書いた障害者は、人を世話したり支えたりすることに関して、「立場が入れ替わった時に、はじめて気づくものです」と言っている。

当たり前であるが、人間は同じ境遇に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からないし、同じ境遇に置かれたとしても全て分かるものではないが、相手を思いやることが大切だろう。

「十勝の活性化を考える会」会員