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Bunbunのブログ

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ガンが原因で亡くなる人が、2人に1人だという。大学の友人や同じ会社の先輩、同期、後輩もガンにかかっている。何かが変である。そのことを変に思わない人が多いことも変である。

昔は、老衰が多かったと記憶している。老衰とは、加齢により脳を含めた全臓器・細胞の力がバランスを保ちながらゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していき、最後に下顎呼吸後に死亡することである。現代の医療では、どんな病気だとしても、老衰を目指した治療やケアをしている。

老衰は最も苦痛の無い死に方であり、末期ガンのように自我や意識があるのに一部の臓器だけ極端に悪いのと異なり意識も無いために、本人は全く苦痛を感じない。老化に伴って細胞や組織の能力が低下し、生命活動の維持ができなくなることが原因で、誰しも人間であるから老衰死には不満がない。

しかし、ガンで死ぬことは不満である。なんの根拠もないが、高度経済成長により環境ホルモンなどの発がん物質が増えているのが原因ではないのだろうか。少子化が続くが、子供が欲しいにもかかわらず子宝に恵まれないのも、環境ホルモンも影響しているのではないだろうか。学者でないので詳しいことは分からないが、農産物には遺伝子組み換え技術などが使われているので、その影響も無視できないと思っている。

先日、トランスジェンダーの人の講演を聞いてきた。当事者は食品などに含なれている発がん物質が原因だろうと言っていた。LGBT当事者が多くなっているのも、それが原因のひとつと思っている。この原因を突き詰めることが、LGBT当事者を増やさないことにつながるだろう。

十勝は日本の食糧基地である。そのためガンを少なくするために、無機肥料を多く使う農業ではなく、有機肥料を多く使う農業を目指していくべきだと思っている。そうすることにより、十勝は活性化していくのである。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

2025年問題とは、いわゆる「団塊の世代」の全員が75歳以上の後期高齢者となり、医療費や介護費などの社会保障費の急増となる問題である。団塊の世代は、第1次ベビーブームの時期に生まれ、様々な分野で戦後の日本の経済成長を牽引してきた。

日本は、朝鮮戦争による特需があったとはいえ、この人たちがいなければ、“ジャパン アズ ナンバーワン”とはならなかったであろう。だから、この人たちである高齢者に感謝せねばなるまい。

最近、バスなどに乗って感じるのだが、杖を持っている人が多い。きっと、足が悪いのだろう。バスに乗らずに歩けば距離にもよるが、足が強くなって年をとってもバスの世話にならなかったかもしれない。

私が飼っている大型犬“ゴールデンレトリバー”は、人間の年齢にすれば90歳になる老犬であるが、いまでも一生懸命になって歩いている。歩けなくなった時、愛犬の寿命がくる。人間も、他人の世話にならずに、愛犬のようになりたいと思っている。

私は足が悪い身体障害者なので他人の世話になることになるであろうが、毎日、諦めずに頑張ることだと思っている。人生も、諦めずに頑張ることである。WBCで勝利した侍ジャパンの選手たちも、決して諦めなかったから優勝したのである。

 雪原の愛犬“マック”

「十勝の活性化を考える会」会員

 

先日、西野順也著「日本列島の自然と日本人」の本に、以下のとおり興味深いことが書かれていた。

『 日本は島国である。内と外との交易が発達していない時代、祖先はあるもので生活するしかなかった。森林が荒廃し土砂崩れや洪水などの災害が起こっても、大陸の民のように、その土地を捨てて他の土地に移っていくことはできなかった。森林の回復を待ちながら、自然が与えてくれる恵みの範囲内で生きていくしかできなかった。幸い湿潤で温暖な気候に恵まれた日本の自然は、生命力にあふれていた。

しかし、恵み深い自然も時として猛威を振るう大雨、暴風など猛烈な力を見せつけ、人々が営々と積み上げてきたものを一瞬にして無に帰してしまう。

祖先は豊かだったが、不安定な自然に適応する努力を数千年も積み重ねてきたのだ。その結果、自然に対する緻密な観察力と自然の変化に対する鋭敏な感受性、そして自然の驚異と奥深さに対する感覚が、磨きあげられた。やがてそれは、日本人特有の精霊信仰的な自然観を育んだ。 

(中略)

このような日本人特有の自然観は、どのように育まれたのだろうか。祖先が自然に手を加え、自然に対峙しながら折り合いをつけ共生する生活を始めたのは縄文時代、最終氷河期が終わる1万数千年前である。平和で安定した採集狩猟生活は1万年以上も続き、縄文土器や土偶に代表される精神性豊かな縄文文化を築き上げた。

 (中略)

だが、岡本太郎は縄文時代の火焔土器に日本芸術の源流を見出したのである。岡本の鋭敏な感性は、火焔土器に込められた縄文人の心性に日本文化の奥底に流れるものを感じ取ったにちがいない。それ以来、縄文文化に対する評価は見直され、今では縄文文化が表層となり、その上に弥生時代以降の文化が積み重なって、日本文化が形成されたと考えられるようになってきた。 

(中略)

社会の構造や制度が大きく変容しても、縄文人は外来の文化を冷静に見極めて選択し、自らの価値観に吸収していったのだ。そこには、自らの文化に対する縄文人の自信と自負が感じられる。縄文人の文化は、外来文化によって面影がわからないまでに形を変えながらも生き残り、現代に受け継がれているのだと思う。 

(中略)

明治時代以降、日本人と自然との関わりは大きく変化した。一つは、生活全般に於いて大量のエネルギーを投入できるようになった、一つは、ものの移動を通して地球全体の自然と関わりを持つようになったことである。

もはや、日本人と自然との関わりを論ずるには、日本一国の問題としてではなく、全世界的な視野が必要になった。蒸気機関の発明を契機に起こった産業革命の波は、十九世紀に全世界に波及した。石炭や石油などの化石資源を燃やしてエネルギーに変換し、さまざまな製品が生産されるようになった。さらに、二十世紀初めにアメリカで始まった大量生産・大量消費の経済活動は、戦後、怒涛のごとく押し寄せ、日本を飲み込んでしまった。(後略)』

現代はグローバル化の時代といわれ、世界中からモノが入ってくる。私たちの周りには、モノがあふれている。情報のグローバル化も手伝い、インターネットでモノを注文すると海外から航空便で品物が届く、そんな時代である。

次から次へと提供される新しいものは、人々の物質的欲求を刺激し、それを満たすことが幸福感につながっている。経済的欲求に応じることができる限り、私たちはほしいものを何でも手に入れることができる。

大量生産・大量消費は、島国の中で自給自足の生活を送ってきた日本人の物に対する価値観や意識を変えてしまった。毎日、大量のモノが捨てられている。大量生産・大量消費の社会は、大量のゴミを生み出したのだ。大量生産によってモノの値段が下がり、修理して使うよりも、新しいものを買った方が安いとなれば、まだ直して使えると思っていても捨ててしまうのだ。

「もったいない」という言葉がある。島国の限られた資源の中で暮らしてきた日本人にとって、物は貴重だったのだ。不要になった物を捨てるのではなく、他の用途に利用したり、修理して使うのは自然だった。しかし、物があふれている現代は、物を大切に使うもったいないの言葉が死語になってしまった。

国を変えるのは国民であり、日本人は“茹でガエル”と思わざるをえない。茹でガエルは、いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、常温の水に入れて水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い、最後には死んでしまうカエルのことである。先日、海外生活が長かった獣医さんから、こんなメールが送られてきた。

『 地球温暖化は、人類の驕りが原因です。利便性を極め、贅沢三昧の生活をもっと原始的にしなければならないと思います。最近のニュースを見るにつけ、日本の基礎インフラの脆弱さを痛感します。科学や技術が発展したが、地震や台風などの自然災害に弱いあり様を見るたびに心配になります。

ウクライナ戦争の影響でエネルギーをはじめ食料の値上げで、今からの生活も心配です。これを機会にもっと質素な食生活を心掛けるべきと思います。中南米、東南アジア等で長く生活しました。贅沢は出来ませんが、人々は精神的にはタフで、生活も豊だと感じました。』

「十勝の活性化を考える会」会員