大聖人様は『王日殿御返事』に、
「昔の得勝童子は、沙(いさご)の餅を仏に供養(くよう)し奉りて、阿育大王と生まれて一閻浮提(いちえんぶだい)の主たりき」(御書1545)と仰せであります。
例え砂の餅でも、真心から仏様に御供養された功徳は大きい。
心こそ大切ってのが、信心の第一、信仰ってもんです。
月30万円稼いでて、コロナで半分の収入になった人が、お金が全然ない中、1万円のご供養を真心からする。
年間1億円稼ぐのに、1万円のご供養をする人では同じ金額、同じ真心でも、ちょっと違うと思いませんか![]()
安倍元首相の銃撃のニュースの中で、「某・宗教団体に恨みがあった。」って報道があり、「母親が寄付して破産した。」とかって内容がありましたが、、、
たぶん、沢山寄付したら、沢山ご利益があるって勘違いをしたんだろぅと思いました。
「信心して、お金沢山払ったら、幸せが買える。」とはどこの宗教も教えません。
確かに、「ご供養を頑張って福運をもらぃましょぅ。」とは言われるかも知れませんが、だから「全財産寄付しろ。」って話ではなぃです。
信心の根本をきちんと理解していたら、その解釈くらいはわかるはずです。
宗教=お金を取られる
ってイメージにまた、なっちゃいますね。
信心してるなら、尚の事、実際の生活からかけ離れた思考になってなぃか
考えて行動するのも大切です。
「あそこで飼われてる犬猫、飼育環境悪くて可哀想だから持ってきちゃぇ。」となんら変わらなぃ。
確かに世の中は詐欺も多いですけどね。
信心するなら、●実生活からかけ離れてないか![]()
●夢だけ語ってないか
(祈るだけでは結果は出ない)●ご利益もらうだけでなく、その信心に何を返して行けるのか
も考えてかないと、「お金払ったのに幸せになれなかった。」となってしまぅ。
何も関係なかったのなら、尚の事、人の生命まで奪う話だったのかと、信仰のあり方には考えさせられてしまぃました。
幸せってのはお金で買えるもんじゃなぃ。
人や色々なことに欲なしに尽くして、始めて帰ってくるもんです。
だから、自分の幸せばっかり祈る人はなかなか幸せにはならなぃ。
まして、人を恨んで殺してたら、完全に実際の生活からはかけ離れてしまぅ。
安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。
今日は選挙だ、投票に行きましょぅ![]()
