●文化人類学者 西江 雅之
【ことばの玉手箱-18年ぶりの引っ越し】公明新聞2014.11.9 より
物を処分するということは、なかなか厄介だ。
必要だと思えば必要だし、原点に返って、
すっかり身軽になろうと決断すれば、すべてがいらないような気さえする。
一方、手近なところから不要な物を捨ててしまおうと思っても、
一つひとつに懐かしい記憶が戻ってくる。
何か大きなきっかけでもなければ、
そう簡単に重い腰があがるものではない。
ただ、私はこの世に一辺の土地も持ち家もないボウフラのような生活者である。
いつ何時、住み家を失うかもしれないという覚悟はある。
もちろん、こうした生活を好き好んでいるわけではない。
数十年間、病院生活を繰り返している妻を抱えている事情で、
そうなっただけのことだ。
東京三鷹に昭和初期に建った日本家屋を見つけたのが十八年余り前。
小津監督の映画にでも出てきそうな佇(たたず)まいの、
落ち着いたこの家に引っ越してきたのは六月だった。
ガマガエルが次々と庭に顔を出し、
新しく住人となった私を歓迎してくれたので、
「蝦蟇(がま)屋敷」と命名した。
蝦蟇屋敷は、わたしの人生の中で、
最も長く落ち着くことのできた場所となった。
だが、すべてのものには終わりがある。
この蝦蟇屋敷も、近々引き払わなければならないこととなった。
わたしには贅沢なほど広い家だったので、
長年のうちに思った以上にものを溜め込んでしまったようだ。
昔は六畳一間で机すらなく、リンゴ箱一つ置いて本を読み、
原稿を書いていた。
それから見れば、この蝦蟇屋敷はどうも居心地が良過ぎたらしい。
書籍だけでも二万冊ほど、
世界各地から運んできた民族資料は大小数百点に及ぶ。
「まるで博物館ですね」と、訪ねてきた人は驚く。
もちろん、今後はどう頑張っても、
これほど広い場所を確保できるはずもない。
残念ではあるが、現実は感傷を許さない。
大切な物も一つひとつ処分していかなければ、生存すら難しい。
大がかりの引っ越しとなれば、人手を借りなければ何もできない。
今まで何度となく引っ越しをしてきたが、今回は一番の大仕事である。
さて、どうしたものかと思案していたところ、
近所の人々が次々と集まって、力を貸してくれている。
無手勝流のわたしだが、
周りの人に親切に助けられて生きて来られたと改めて思う。
後は、何を選んで、何を捨てるか。
こればかりは、わたし自身が決めるほかない。
・・・・・・・・・・・
来年50を迎える、わたくしka2さん。
あんまり長生きしたくない自分は・・・
捨てるものを増やして行こう。
抱えないで行こう。
そう思い始めた。
あと、15年位は生きないと、
全員は見送れないなぁー
しかし、なんでこんなに、
家に物が多いのか