断片的なので、ただ書き連ねます。

 

朝、現場に行く途中で、乗っている車よりな~が~い大きな蛇が

変にスローで路肩を這っていて、

その周りを複数の鳥が上下に舞っていました。

昨日は、アリクイがいたな・・・・・

同じ道で、帰路に就いたとき、その蛇(?)がきれいに骨だけに

なって残っていました。

 

数日後、同じ道を通って現場に向かっていましたが、

ラジオからジョンレノンが撃たれて亡くなった 

と興奮した声が流れてきました。

 

なぜ、同じ道と書くかというと、もう40年の昔なんですが、

その当時既に安全のために行き帰りの道を日々変えて

いたんです。

先輩からの教えでした。

 

年が明け、帰国時にトランジットでニューヨークに泊まった時、

ダコタ・ハウスを訪ねました。

そして、

JLのコマーシャルソングのように夕暮れのニューヨークは、

パープルでした。

 

小学校の何年生だったか、

ビートルズが世界を席巻し始めていた頃、母からは、不埒、不良の

曲だと言って聞くことを禁止されていました。

彼女は、何を理由として言っていたのだろうか? 

歌詞なんか分かりっこないのに?

それから、数年後、彼女は日本の非居住者となって海外へ行き、その不埒な世界の

虜となって帰ってきました。1969年頃です。

「お兄ちゃん、(不良の溜まり場と言われた)ボーリングに行こう」と言われ、

どうしたの?と思いました。点数の付け方知っているの?

 

今はもう、90歳になる母ですが、

彼女にもそんな昔があったんですね。

 

おとうしゃんの話しを聞いていたら、眠たくなっちゃったでしゅ。

            

 

そらののゴールデンの そらちゃん、

副作用が軽いことを祈っているからね、

パパさん、ママさん、

応援しています。