おばあちゃんは、アヱちゃんと言います。
2代目のわん仔のスピッツ ベルは、
彼女の弟の所から、やってきました。
アヱちゃんの家には、ベルと血縁関係のスピッツがいて、
わん仔の扱いが絶妙でした。
リードを付けるのを嫌がっているわん仔におやつを
見せるだけで、さっとリードを装着してしまいます。
文左衛門がいた当時、よく実家に遊びに来て、
文ちゃんと遊んでいましたが、撫ぜまわしたりするのではなく、
ちょっと離れて、笑顔で静かな声であやしていました。
アヱちゃんの望みは、痴呆にならないで、
静かにあの世に行きたいという事でした。
そして、アヱちゃんは、望み通り、痴呆症になることもなく
枯れるように98才で、その波乱の人生に幕を下ろしました。
母は、赤ちゃんをお風呂に入れることが出来ません。
そう、特にアヱちゃんが我ら兄弟3人の産湯から、
ずっと面倒をみたので、出来なくなってしまった様です。

105
アヱちゃんと郎党
文左衛門、父、アヱちゃん、アヱちゃんの孫たち

両親が居なかった中学の頃から、アヱちゃんが父兄参観に来ました。
背中を曲げた小さいおばあさんが来るのが恥ずかしく、嫌だった。
そして、そのような気持ちもい何時しか無くなり、
アヱちゃんが私の所に泊りに来るとアヱちゃんと出かけたりするようになりました。
横浜に行った時、西部警察の撮影に出くわし、「あ、石原軍団だよ」
とアヱちゃんに言ったときには、もう走っていました。
女房殿もその後にいました。
私より、目が良かったんですね。

叔父の車で、靖国通りを通っている時、
「靖国神社に寄って行く?」
「この前、靖国神社に来た時は・・・・」
「この前っていつなの、全然来ていないよ」
「2.26事件の時、おじいちゃんと来たんだよ」
叔父は、アクセル踏みこんでいました。

こんなアヱちゃんの孫です。


・・・・・・・・・・・・・・・・
次回、イラクのわん仔に戻ります。