田んぼの水が張られる季節になると、世界の輪郭が少しだけ変わる。
見えていなかったものが、静かに浮かび上がってくるような時間がある。

長らく「学校」という場所にいた。
中学校・特別支援・コーディネーター・社会科・・・。
気づけば37年が過ぎていたが、自分がその時間にふさわしいほどの人間だったとは今でも思えない。
ただ流れの中にいて、支えられながらここまで来たという感覚の方が強い。

それでも、子どもたちの小さな変化だけは見てきた。
言葉になる前の揺れや、表情のわずかな違い。
そうしたものを追いかけることが、いつの間にか自分の仕事になっていた。

定年後、すべてがきれいに切り替わるわけではなかった。
再任用を選ばなかった年もあり、その後の面接で思うようにいかないこともあった。無職の悲しさや、シニア就活の厳しさも体験した。
場所が変わるたびに、人との距離の取り方も変わっていった。

今は某支援学校で支援員をさせていただいている。
知っている先生はいない。
一から関係をつくる場所で、静かな緊張の中にいる。

それでも、生徒たちと向き合う時間には、かつてと同じものがある。
大きな変化ではなく、小さな動きの中にある確かな気配。
それを見つけるとき、自分はまだこの仕事の中にいると思える。

 

 

 

妻は難治の病を患っている。

生活は決して簡単ではないが、静かな安定もある。
大きな安心ではないが、崩れない日常がそこにある。

昆虫が好きで、現役の頃から小さな記録を続けていた。
葉の裏や草むらにいるものを見ていると、そこには評価も役割もない。

ただ生きている姿がある。
教育の現場も、それに少し似ていると思うことがある。

目立つ変化よりも、気づかれない変化の方が多い。
言葉にされないまま過ぎていく時間の方が長い。
それでも確かに、何かは積み重なっている。

 

 

制度を決めている「教育委員会」という組織に対しては、正直に言えば距離を感じるようになった。
現場で見えているものと、制度の中で見えているものには、どうしても差がある。
その違いに戸惑い続けてきた時間もあった。

それでも今振り返ると、すべてが切り離されているわけではない。
うまくいかなかったことも、選ばれなかった場所も、今の場所につながっている。

人生は上がっていくばかりではない。
むしろ、静かに形を変えながら降りていく時間なのかもしれない。
ただ、その途中で見えるものは、以前よりもはっきりしている気がする。

派手さはない。
大きな成果もない。
それでも、生徒たちと向き合う時間と、妻と過ごす日常がある。

それだけで十分だと、少しずつ思えるようになってきた。

定年退職から4年目、遅れてようやく見えてきたものがある。

                        2026.5.4(月)