深海輪舞曲~rondo in the abyss~ -28ページ目

深海輪舞曲~rondo in the abyss~

乳がんを契機にあれこれ気づいたこと
乳がんは、恐い病気じゃない
こうすれば「よりよく」生きられる
「キャンサーギフト」ってあるんだな~…って♪

又此宮に怪異の事あり
大崎信守の手記に曰く――

萬治三年五月十五日夜戌刻ばかりに、伊雑宮の別宮の内、津間森の宮中にて、人多寄合物語仕候様に聞え、御殿鳴動候故、不審仕候処に、同六月十八日摂津の域、迅雷の大変之儀あり。同月十六日夜の亥の刻の程に、津間森の東南の方より光かヾやきて、伊雑宮の森へ飛行候事。
(出典:三重県郷土資料叢書 第68集「志摩の国基礎資料 志摩郡史(鳥羽誌) 志摩国旧地考」著者 曽我部市太 井阪徳辰 発行者 三重県郷土資料刊行会)

【シロウト意訳】

萬治3年→1660年
夜戌の刻→夜7~9時
摂津の域、迅雷の大変之儀
 →1660年に摂津国(大阪)で
  大豪雨があったみたいですね
亥の刻→夜9~11時

1660年5月15日の夜
伊雑宮の別宮にある津間森の宮中で
何やら大勢が
寄り集まっているような音がして
御殿が鳴動するので
不審に思っていたところ
同年6月18日に摂津の国では
大変な水害があった
(そういえば)同月16日の夜中に
津間森の東南の方から
光りかがやく何かが
伊雑宮の森の方へ飛行していた


【あれこれ考察】

この記述は、少し時系列が
適当な感じがしますね
物音の騒動は5月
摂津の水害は6月18日
そして、最後に6月16日の
発光&飛行物体の記述が

それにしても
光るものよく出現するなぁ☆
誰か乗ってるのかな?
それは、「エピソード7」に
関係するのかな…(゚A゚;)ゴクリ

…その前に
軽いエピソードを紹介しますね♪
又此宮に怪異の事あり
大崎信守の手記に曰く――

萬治二年六月十八日申の刻、伊雑宮より艮の方、小熊岳の麓より、何となく光れる物、同坤の方、神路山、大杉谷、御休の社の方へ飛行を、地下人徃還の者まで、慥(たしか)に見申候、于今大勢御座候事。
(出典:三重県郷土資料叢書 第68集「志摩の国基礎資料 志摩郡史(鳥羽誌) 志摩国旧地考」著者 曽我部市太 井阪徳辰 発行者 三重県郷土資料刊行会)

【シロウト意訳】
萬治2年→1659年
申の刻→午後3~5時
艮→東北
小熊岳→伊勢志摩国立公園内の
    どこかの山の昔の呼び名
    …だと思う
坤→西南
神路山→伊勢神宮内宮の
      南方の山の通称
于→しかも

1659年6月18日の夕方頃
伊雑宮の東北、小熊岳のふもとから
何となく光る物が
伊雑宮の西南の方、
神路山、大杉谷、御休の社の方へ
飛んでいくのを、
地元民だけでなく
路を行きかう人たちまでもが
バッチリ見ました
しかも大勢


【あれこれ考察】

この物体は、どうも漠然としてますね
でも、この「発光体の同時多発飛行」を
大勢が目撃した、というところに
異常性があるのかと
「ウソじゃねぇよ、見た人いっぱいいるし!」
との想いが伝わってくる文面が
少し微笑ましい


…まだ続きます♪

又此宮に怪異の事あり
大崎信守の手記に曰く――

萬治元年閏十二月廿八日(二三一八)申の刻、伊雑の御浦より、三間程もあるべき小船に、怪しき人三人乗、神路川の辺にて、雲の様に見えて、高の宮の方へ飛行候処、同二十九日午の刻、内宮炎上之事あり。
(出典:三重県郷土資料叢書 第68集「志摩の国基礎資料 志摩郡史(鳥羽誌) 志摩国旧地考」著者 曽我部市太 井阪徳辰 発行者 三重県郷土資料刊行会)

【シロウト意訳】

萬治元年→1658年
申の刻→午後3~5時
三間→一間≒1.8mで三間は約5.4m
午の刻→午前11時~午後1時

1658年12月28日の夕方頃
伊雑浦(このへん)の方から
あやしい3人を乗せた
幅5mくらいある小船が
神路川のあたりまで来たら
雲のように見えて
そこから伊雑宮高の宮の方へと
飛んでいった
翌日29日のお昼頃
伊勢神宮の内宮が炎上した


【あれこれ考察】

怪しい三人組
キタ━ヽ( ゚∀゚)人(゚∀゚ )メ( ゚∀゚)ノ━!!!!

飛ぶ船
キタ━(゚(゚∀(゚∀゚(☆∀☆)゚∀゚)∀゚)゚)!!!!


コラ3人組!
内宮に何をしたぁーー!!


…次行ってみよう!