今週急に涼しくなって今朝もけっこう冷えたもんで
夕食をおでんにすることにして朝から煮込んだら、
にっちゅうまさかの夏日…
この時期に冷房入れて
おでんを食べるハメになるとはね…(ーー;)
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旅の続きです。
三原駅でEVA新幹線を見送ったあと向かったのは、
この日のメインの「うさぎじま」
実はうさぎじまには6月に一度行ったんだけど、
時間がなくて見そびれたところがいろいろあったし、
なによりうさぎさんがかわいくて (●≧艸≦)
なので「また行きたいね~^^」とは言ってたんだけど、
どうやら私より夫のほうがメロメロだったようで
今回の旅も最初からここに決めていたみたいで
ということで今回も行ってきたわけですが、
島については6月の記事に書いたので
今回は省略することにして、
さっそく忠海港から
島へと渡りましょう
さて4ヶ月ぶりに降り立ったうさぎじまですが、
前回はレンタサイクルで
主に海沿いの黄色い○の部分を巡ったので、
今回は島の南部と中央部の
ピンクの○の辺りを徒歩で巡る予定で、
まずは休暇村本館に向かってフェリー乗り場を出発
お天気が心配だったけど、
「何とかもちそうね」と言いながら歩いていると
さっそくうさぎさんたちがやってきたので
はいはいお待ちくださいね、と
「通行料」のキャベツをお渡ししたんだけど、
このキャベツ、前回1玉しか持っていかなかったら
最後は足りなくなっちゃって…
なので今回は2玉持って行ったのでね、
残りを気にせず大盤振る舞いできて、夫大喜びww
しばらくうさぎざんと戯れたら、
見たいと思っていた「毒ガス資料館」の横の
屋外展示へ。
ここには当時使われていた
陶磁器製の毒ガス製造器具の実物が置かれているのですが、
実際に使われていた、というものを見ていると、
「こんなもので…」と思わずにはいられませんでしたよ。
よく見ると、近くにはほかにも
「幹部用防空壕跡」や
ちなみに従業員用は、地面に1mの穴を掘った上に草木を被せた
「たこつぼ」と呼ばれる退避壕だったそうな…(ーー;)
「研究所跡」
これは研究所跡の「検査工室跡」。立ち入り禁止になっていました。
桟橋が見下ろせる高台には
説明のない建物の跡らしきものなど、
休暇村に近くて観光客が多いこの辺りにも、
戦争遺構がいろいろあったんですね・・・。
さてぼちぼち歩いて休暇村まで来たら、
ちょうどお昼前。
本格的な遺構巡りの前に
ちょっとおなかを満たしておきましょうということで、
休暇村の中の「うさんちゅカフェ」で
軽く食事することに
で、今回いただいたのは、
瀬戸内レモンカード&メープルトーストの「うさんちゅバスケット」と「キャラメルバニラ風味のうさんちゅコーヒー」
それに「タコ天」とビール
バスケットは美味しかったけど、
これパンがお耳、バニラアイスのジャムが目で「うさぎ?」
と気付いたのは、半分食べた頃
タコ天はブツ切りのタコかと思ったら練り物っぽい天ぷらで、
そのほうが食べやすかったのでこれはこれでOKだったけど、
コーヒーは私にはキャラメルの香りがきつすぎたので、
フツーのコーヒーのほうがよかったな…。
と、小腹も満たしたところで
いよいよこれから遺構巡りへ。
まずは島南端の灯台方面へ向かいます。
途中「自動交換機室跡」
初期は診療所程度の医務室だったのが、昭和12年ごろには
入院病棟やいろんな診療科、それに「毒ガス治療室」も備えた
本格的な病院になったという「医務室跡」などを見ながら
手前の消火栓は当時の物なんですって…!
岬の灯台へ。
で、ホントならこのそばにあった遺構にも行きたかったんだけど、
如何せん持ってた地図がアバウトすぎて見つけられなくて(>_<)
仕方ないので一旦海岸に戻り、
今度は島の真ん中辺りを目指すことにして
「自転車進入禁止」でも徒歩ならOKと
休暇村のフロントで確認していたところからお山に入ると、
いきなり急な坂道に…
ちなみにこの道には説明のない遺構が
あちこちに朽ちたまま残っていて、
この島はホントに島全体にいろんな施設があったんだなぁと
実感しましたよ(´・_・`)
さてそんなこんなでいろんなことを思いながら
坂道を登って着いたのは「南部砲台跡」
ここは日清戦争後に日露戦争に備えて
「芸予要塞」として造られた3ヶ所の砲台のうちの一つで
実際には使われずにすんだところなんですけどね、
6月に来た時にも思ったけど、
もしここまで敵艦に入り込まれていたら、
正直すでに勝ち目はなかったと思うんですよ。
でもね、
それでも造らないわけにはいかなかったんだろうな…
と思うと、
当時の人たちの危機感や悲壮感が感じられて、
なんだかちょっと胸が痛みましたよ…
そんなところでも歩けばうさぎさんが寄ってきてくれたので、
かわいさに癒され&通行料のキャベツをあげつつ
「中部砲台跡」へ。
ここも日露戦争に備えて1900年ごろ造られた砲台なんだけど、
当時造られた砲台の中ではよい状態で残っているそうで、
赤レンガはロシアから輸入されたものだとか。
しかし戦争前だったとはいえ、戦の相手国からレンガ輸入して
砲台を造ったとはね…。
さてこうしてあちこち寄り道しながら歩くこと約1時間、
大きな鉄塔が立つ山頂に到着。
ここはいい眺めだったんだけど
ここまで来る人はあまりいないのか、
私達が行ったときにいたのは、
数人の欧米系外国人とうさぎさんだけでした。
ということで、今回は遺構巡りしつつ
島をお散歩したようなカンジでしたが、
でもけっこう坂道だったので、足が筋肉痛になっちゃったんだけどね^^;
やっぱりうさぎさんはかわいかったし、
もうね、あちこちに子うさぎがいてめちゃくちゃかわいかったのよ~♪(*≧ω≦)
またしても行きそびれたところができてしまったので
そこは次回のお楽しみにして、
また行きたいと思います
その時までまっててね~~
次回三原に戻ります。
おまけ。
あしゅら男爵うさぎ~!!(*≧∀≦*)