僕は学生の時に、バックパックを背負って、ひとり、海外に旅行に出かけていました。少し前にテレビで話題になった猿岩石の旅のように、或いは沢木耕太郎の<深夜特急>のように、フラフラとお金もないのにせっせとバイトで貯めたお金で放浪しました。
21歳の時、アメリカ大陸を旅した時、当時格安航空券と言えば、大韓航空。帰りの飛行機の出発が遅れ、ソウルで一泊をせざるを得ない状況となりました。お金は使い果たしていたのでどうしようかと思っていたら、大韓航空がとても高級なホテルと夕朝食を用意してくれました。それでそのホテル近くを夕刻ひとりで歩くことになったのですが、街はゴミが散乱し、古いレンガ造りの建物が目立ち、街を歩く若者の服装もダサく、割と貧しい感じのソウルでした。
22歳の時は、同様にオーストラリアをヒッチハイクして回りました。その時はシンガポール航空。帰り便はシンガポール経由で、当時台北に住んでいた姉夫婦のところに寄って帰るように便を取っていたのに、当時日本人が台湾に入るにはVISAが必要と知らず、空港で「台湾の入国VISAが無いから、あなたはこの便には乗れません。日本に直接帰るか、台湾VISAを取得してから、予約を取り直してください。席に空きがあればその便に変更してあげますよ」と言われ、急遽シンガポール市内に戻り、大使館に行ってVISAを取得せんといかんことになりました。たまたま平日だったので、市内に戻って大使館近くの写真館で写真を撮り、事情を説明しながら「明日の便に乗りたいので、今日VISAを出してください!」申請をすると、次の日の早朝にVISAを取得できました。拠って、僕は図らずもシンガポールに一晩宿泊しなければいけないことになり、そのあたりの事情を話した写真館の姉妹が「じゃ、私達がシンガポールを案内してあげる!」と、店を閉め一緒に歩いてくれることになりました。
先ずは、着替えるからと彼女達の家に行きました。とても小さなメゾネットタイプの部屋に家族8人くらいで住んでいました。メインの大通りはきれいだったけど、一筋裏道にある彼女たちの家の前は、強い臭いと暗い部屋。その格差に驚きました。決して豊かとはいえない国でした。夕方には、彼女たちの彼氏も混じって、屋台に連れていってくれました。いっぱいに並ぶ屋台街。
ともあれ、ソウルもシンガポールも、40数年前は決して豊かな街ではなかった。ところが今では街に変な臭いもなく、街は美しく整備され、日本人より年収もずっと多い国になった。
この間、日本は何をしていたんだろう。バブルがあり、一瞬とは言え、日本はアメリカを2回買えると言われるほどの財力があった。その間、韓国も、シンガポールも、国も人も、ひたすら目標を持って努力をし、海外に学んだ。
人生は約80年ある。40年という時間で、逆転は起こり得る。<Make Japan Great Again!!> 日本人はもっと海外に出ていき、謙虚に学び努力することで、人生のうちで2回ほど大逆転のチャンスはあるということだと思う。頑張ろうや、日本人!社会や、政治の悪口言ってても何も進まん。少なくとも、自分はやるよ!っていう気持ちでいれば、微力でも、無力ではないよね。40年の大逆転目指して!


