今は住まなくなった僕の家を民泊施設にする為に、家の大掃除をしています。30年余り住み続けた家には、雑多にいろいろなものが、本当にたくさんあります。不要になった食器、古い鍋類、家電製品、布団、本、小物、バッグ、CD、段ボール、旅行のお土産、キャンプ用品...これ、全部お金を出して買ったものなんやけどなぁと思いつつ、ドンドン捨てています。そうこうするうちに、押し入れの奥の方に、僕が21歳の時にアメリカをバックパックひとつ背負って、2ケ月ほど一人旅したんだけど、その時のそのバックパックが出てきました。背中の日の丸は、旅の途中で買い求め自分で縫い付けたものです。

 

 いろいろな経験を経て今の自分があるっていうのは誰でも同じだろうと思うけど、僕にとって21歳の時の一人旅は今の自分を作る大きなイベントで、その経験が土台にあって今の自分があるって、本当に思います。奥さんとは当時は知り合ってお付き合いをしていましたが、「何としても彼女と結婚する!」と自分に誓ったのは、シアトルの夜でした。今、バンクーバーに木材商社を持つに至ったのは、旅の途中で知り合ったカナダ人との付き合いの中でいろんな情報をもらい、カナダやアメリカの住宅に興味を持ち、ビジネスが始まったことから紆余曲折を経て現状に至ったりしました。そのバンクーバーの友人は僕の仕事とは基本的に何の関係もありません。今もバンクーバーに行くたびに一緒に食事をします。お付き合いおっちゃんになりましたが…高校の時、英語の授業が苦役の授業に感じていたほど嫌だったのに、旅の途中でなんとなく聞けるようになり、片言を話せるようになり、今では下手とは言え、海外との仕事は、英語でやってます。旅の途中で知り合った友人とも今でも付き合いのある人がいます。

 ともあれ、今の僕を作ったともいえるこのバックパックを、思い切って捨てようと思います。僕にもいつかは終わりが来るし、その思い出にすがり続けるのも何だか変だし、新しい何かを始めようとする時には、古い何かを捨てないといかんかな?とも。ただ、民泊施設を作るにあたって、旅の象徴として、どこか大切な壁にかけておくのも良いかな?とも考えたりします。

 いずれにしても、このバックパックには、他人には理解できないし、自分だけの心のよりどころ的な何かがあります。僕は日本人なので、八百万の神々があるとしたら、このバックパックにも神が宿っている気がします。僕の息子たちが小さかった頃、このバックパックを見せて自慢げに父ちゃんの旅話をして聞かせたことも幾夜となくありました。その全部が詰まった44年前のバックパックです。