江戸時代とか幕末とか、とにかく、昔の人の言葉というのは何故かとても、立派で正しい事の様に聞こえる。
特に諺なんかは、全てに真っ当な意味があって、その諺に従った方が良い事のように思える。

しかし、数多ある言葉である。
本当に窓を得た、真理を説いた言葉、諺はいくつあるものなのだろう。

諺の中には、風化して、本来の意味から外れたものも、多々あると思う。
都合のいいように解釈されたものもあると思う。

だから、私は世の理にあった言葉を見つけ、それを実行していかなければならないと思った。


過去に生きる父。男は大抵そうだとはおもうから、直そうとは思わないけれども、ただ、後ろを向いた言葉というのは、非常に甘美で、前へ進む気持ちをへし折ってくれるものなのだ。

だから私は聞かないよ。
終わった事は。
たとえそれにうなずき、嘘でも賛同する事で、あなたの心が安らいだとしても、死ぬまで人は前をみ続けなければ、ならないのだから。

悪い甘美な生き方に惑わされないでくれ、父よ。
世の中はそんなに甘くない。しかし、それほど冷たくもないものなんだ。

ただし、その恩恵にあずかる為には人よりも努力しなくてはいけないんだよ。

少なくとも、最低限自分以外に甘えては「いけない」ものだ。甘えは借金みたいなもの。

前を向かないのは甘えてる証拠です。
だって、前を向かなきゃ自然界では死んじゃうんだもん。

だから、前を向いた話し以外は私は聞かないから。
憎まれても。




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悪いところ模索中

よくいい所を伸ばそうというけれど、悪いところをカバーできるほど、いいとこが見つからないのです。

人間関係ってむつかしい

人目を気にしない人は強くて好きです☆自分もああなりたいなぁと思うけれど、その為には、自分の意思に絶対?の意思が必要なんじゃないかなと。

少なくとも、私の他人を見下す癖を直したくて、がんばってます。

自分はできる!と思っても良い時は、キチンと結果が出たときにしよう

愛嬌だけでは通じんのだ
というか、他人がそれだけで、生き抜いてたら、嫌だ

そんな世界に居たくないとおもうから。


私の理想の世界の住人になれるよう
努力しよう



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誰しも幸せにりたいと願えば、幸せになれるとは思うし、事実であると思う。
しかし、簡単に幸せを築ける人と築けない人が存在するのはなぜだろう。
よく、誰にでも見えない傷や苦労はあるという。しかし、傷や苦労のレベルは絶対に違う。

未だに、家族仲のよかった、また経済的にも苦労をした事がなかったであろう、にんげんが苦手でならない。

彼ら彼女らとは根本的な考え方が違うと実感するからだ。
そして私は女性。少なくとも男性よりは共感を必要とするのです。

しかし、周りにいる友人同僚は私からみたら不自由無く育って来た人がほとんど。

人間のきたない部分を自然と受け入れられている、器の大きさを見るたびに、自分の小ささがみっともなくなる。

どうやったら、自分に余裕が出来るのだろう。人を受け入れる事ができるのだろう。

出来る限りの事はしてきたけど、やればやるほど、違いを感じて前に進めなくなってきた気がする。

予定を入れるのが辛い。けど断れない。これは惰性だな。
会っても友情を感じられない私の感性。
まだ、諦めないほうがよいかな。。

そんな希望を持ってまた苦手な人間と飲みに行きます。




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