タイトルになっているマッカーサー・パーク(MacArthur Park)は、19世紀後半からあるロサンゼルスの公園である。元はウェストレイク・パーク(Westlake Park)という名称だったが、第2次世界大戦を機にダグラス・マッカーサー元帥のモニュメントが作られ、マッカーサー・パークと改称されたようだ。

 

 私がこの「マッカーサー・パーク」という曲を初めて知ったのは、1980年に大学に入学してしばらくした頃である。「アイ・リメンバー・イエスタデイ」のブログでも触れたが、宏美さんのコンサートでドナ・サマーの「オン・ザ・レイディオ」を知ったのがキッカケだった。2枚組のベスト、しかも4面ともノンストップで編集されている「ディスコの女王」の名に恥じぬ『グレイテスト・ヒッツ』を聴いたのだ。「オン・ザ・レイディオ」に始まり、「オン・ザ・レイディオ」に終わるのもカッコよかった。そのアルバムにこの「マッカーサー・パーク」も収録されていたのだ。

 

 

 その翌年7月、私は真夏の野外コンサート『SUMMER HOLIDAY in HIBIYA』で、宏美さんがドナ・サマー・メドレーを歌うのを聴く幸せに浴した。この「マッカーサー・パーク」もメドレーに含まれていた。もちろん全曲ノリノリのディスコ・サウンドである。

 

 さらにその一年後、1982年秋の岩崎宏美リサイタル。大判のパンフレットには、第1部最後に「マッカーサー・パーク」の文字が。私は胸が高鳴るのを覚えた。「Music Lovers」で始まり、『Love Letter』からの数曲やヒット曲集を経て、いよいよ前半ラストのこの曲である。フルコーラスには、初めて聴くCパート(♪ 大人の哀しみを 知ったけど〜)もあり、大曲の様相を呈している。なかなかディスコのリズムにならない。Cパートが終わると、ようやくバックの演奏が16ビートになり盛り上がって来た。ところが、その後Bパートが再現し(♪ 暗闇に消え去った 緑色の月日〜)ややテンポを落として壮大なスケールで歌い上げられると、ディスコ調の歌にならないまま、最高音の宏美さんのスキャットとティンパニのトレモロで、1部の幕が降りてしまったのだ。

 

 ドナのディスコ調が原曲だと思っていた私は、肩透かしを食ったような気持ちだった。このアレンジ(小野寺忠和)は一体どうしたことだ、と。その後調べてみて、ようやくオリジナルはドナ・サマー(1978)ではなく、リチャード・ハリス(1968)であると知ったのである。そして、リサイタルのアレンジは概ねオリジナルに沿ったものであったことも。

 

 

 この歌の作者はジミー・ウェッブ。原詞の歌詞カードを見ながら聴いていても、よく解らない部分が多い。雨の中に置き忘れられたケーキ、黄色い綿のドレス、ダイヤモンドゲーム(Chinese checkers)などが唐突に歌詞に出て来るように感じる。何かの喩えなのだろうかと思い、今回調べてみたら、この曲は歌詞が難解なことでも知られているようだ。

 

 特に有名な歌詞の部分が、"cake out in the rain"。この部分については作者ジミー・ウェッブは『Qマガジン』の取材に次のように答えている(『洋楽和訳 Neverending Music』から孫引き)。

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 これははっきりと言えば「愛の終焉」についての歌だ。この歌を歌う人は"the cake and the rain"を何かの比喩表現じゃないかと言うけどそれでいいんだよ。そう大きな違いはないさ。理解は難しいよ。でも僕がこの曲を書いた1960年代の後半では、超現実的な(シュールレアリスティック)歌詞が求められていたからね。

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 終焉を迎えた愛。その想い出の場所がマッカーサー・パークだということは確かであろう。山川啓介さんの訳は、難解な部分はしまい込んで、美しく意訳している。宏美さんは「もう二度と誰も愛せない、あなたほど。あの頃の私に会いたい日はマッカーサー・パークを一人歩くの」と歌うのだ。

 

 

 もちろん私は、ジミー・ウェッブのオリジナルに触れ、宏美さんのライブ盤を聴き込むにつれ、(初めて聴いた時の肩透かしは忘れて、)このバージョンをどんどん好きになっていった。そして今なら言い切れる。この「マッカーサー・パーク」は、リサイタル第1部のラストにふさわしい並外れた長大な楽曲、そしてそれに負けない宏美さんの絶唱であった、と。

 

(1982.12.16 アルバム『’82 岩崎宏美リサイタル』収録)