1975年4月25日。今からちょうど46年前、高校2年生になったばかりの16歳の少女が「二重唱(デュエット)」という曲で歌手デビューした。その少女の名は岩崎宏美、キャッチフレーズは「天まで響け」だった。

 

 

 作詞:阿久悠、作曲:筒美京平、編曲:萩田光雄。デビュー曲ということで、個人的には特別な思い入れもあり、好き過ぎて聴き過ぎて、客観的に語ることは不可能だ。デビュー曲ということで、宏美さんのデビューやこの曲については記述されたものも多いので、作家陣御三方の関連本からこの「二重唱(デュエット)」に関する部分をいくつか抜き出してみよう。

 

 まず、阿久先生の『夢を食った男たち』から。

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 決戦大会収録は、1974年7月17日、放送日は8月11日で、彼女(岩崎宏美)は、「スター誕生」11代目のチャンピオンとなった。

 彼女の出現によって、「スター誕生」は、大仰な言い方をすると、タレント・スカウトに良心のイメージを与えることになる。

 時代性とか感覚性とかばかりを追い、しょせん子供のお遊び、あるいは、時代の徒花的に低い評価をしていたひとたちに、本格的な力量の歌手が誕生し得る可能性があることを、証明したのである。

 事実、あの番組が長くつづいた要因の一つに、彼女のようなタイプを、スターとして確立させ得た実績が数えられると思う。きれいな声で、素直に歌う子が、エキセントリックさを求める時代の中で、堂々と咲きつづけたことは大きい。岩崎宏美一人の登場で、ぼくらは、新たに評価という言葉も得たのである。

(略)

 レコーディングから何週間かして、「スター誕生」の収録会場の後楽園ホールへ、ビクター・レコードの当時の宣伝部長の久野義治が、ポスターを持ってやって来て、

「これですよ。これでございますよ」

と自慢した。

 そこには、「天まで響け」とあった。ぼくは、この少女は売れる運命なのだと思った。

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 続いていつもの『筒美京平ヒットストーリー』(榊ひろと)から。

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 すでに萩田光雄のアレンジによってオケ録りが完了していた筒美の作品に、阿久が歌詞をつける形で完成したデビュー曲「二重唱(デュエット)」は、75年4月25日に発売され、トップ20入りするヒットになった。岩崎宏美のよく伸びる高音を活かしたアップテンポのナンバーだが、曲構成の面ではサビから歌いだす“頭サビ”の形式がとられている。これは「青い果実」など都倉俊一が手掛けた初期の山口百恵作品でのインパクトの強さを意識したものだろう。萩田は太田裕美に続いて筒美京平が担当した新人歌手のデビュー作を手掛けたことになり、ストリングスの鮮やかな動きをフィーチャーした彼らしいオーケストレーションを施している。

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 殿は、『ヒット曲の料理人 編曲家 萩田光雄の時代』から。

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 岩崎宏美さんもデビュー曲の「二重唱(デュエット)」は京平さんの作曲、私の編曲だ。今聴くと随分と派手なイントロをつけたものだ。この曲に限らず、私のアレンジはテレビ番組のフルバンドが演奏するのは大変だったと思う。そのままイメージ通りに再現されることはまずなく、逆に不要なブラスがガンガン入っていたりする。NHKなどでは必ずシンセが2台ぐらいあって、ストリングスも入る、という形を取ってはいたが。ジャズのフルバンドで歌謡曲を演奏すると、まったく違うサウンドになってしまう。昔のフルバンドはジャズ・ギターでやっていたから、ロック・ギターの感じが出ないのだ。

 筒美京平さんにとって、岩崎宏美さんは清涼感があり、歌唱力もあるという位置づけだった。太田裕美さんはむしろはかなげで頼りなげで、そういうところが京平さん好みだった。岩崎さんと太田さんの曲では、テンポも10ぐらい違う*のだ。

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 宏美さんがライナーノーツにも書かれている、レコーディング時に「いつまでたっても自分の知っているメロディーが出て来ず、私の曲はいつからやるのか?と訊いた」という笑い話は、以前からよくご自身もテレビやコンサート等で話されていたお馴染みのエピソードだ。カラオケには通常歌メロは入っていない、ということすら知らなかった真っ新な少女を表した挿話として、微笑ましい限りである。😊

 

 

 デビュー10周年の1985年3月に放送されたNHK・FMの『歌謡ステージ』という番組のラストで、宏美さんがこの「二重唱(デュエット)」を披露した。その際のMCが、私はとても印象に残っているので、最後にご紹介したい(当時のテープから起こしました)。

 

「それではお別れに、私のこの歌の世界に入って初めての曲ということで、『天まで響け』というキャッチフレーズでした。その名の通りずいぶん元気のいい歌で、このあと歌うのかなと思うと、息切れてたらどうしよう(笑)って感じもなきにしもあらずなんですが、私のデビュー曲の『二重唱(デュエット)』を聴いて、皆様とお別れしたいと思います」

 

 当時まだ若くて(26歳)元気いっぱいの宏美さんの口から、こんな言葉が出たことに少々驚いたので、よく覚えている。あれからさらに36年、今なおデビュー当時と変わらないマイクを突き出す仕草と共に、元気な「二重唱(デュエット)」を聴かせてくださっている。これは奇跡に近いことだと改めて思い、感謝しかない。

 

 宏美さん、デビュー46周年おめでとうございます。㊗️🎊これからも健康に留意され、ますます素敵な歌をたくさん歌い続けてください!😊

 

(1975.4.25 シングル)

 

*BPM(beats per minute、1分間あたりの拍数)での比較で、宏美さんの曲の方が10拍ほど多い、という意。