宏美さんがこよなく敬愛するさだまさしさんのオリジナル曲。1985年3月の「軽井沢ホテル」との両A面曲で、その年のアルバム『ADVANTAGE』にも収録された。嘘か真か、さださんはこの曲を作っている最中に寝てしまい、目が覚めたらできていた、と言う。

 

 

 この歌は、さださんがリリースしたばかりの頃に、宏美さんは一度ミュージックフェアに出演して歌われている(この時は、後のシングル・バージョンより半音高いCメジャーで演奏された)。その後、87年に何度かまさしさんのイベントで歌ったのだそうだ。当時評判が良かったことを偶然聞き、レコーディングに繋がったと言う。

 

 今世紀になってから、宏美さんがテイチク移籍第2弾のシングルとして吹き込んだ。通算56枚目のシングル。ここから3曲、カバー曲のシングルが続き、カバーアルバムのシリーズとなる『Dear Friends』への布石となった。アレンジは古川昌義さん。

 

 歌詞の内容は、ありがちな「愛ゆえに」置き手紙をして旅立つ主人公の心情を、まさしさんらしい美しい言葉で紡いだものである。曲もあくまで優しく、温かい。後半の「♪ 人は誰でも無器用で〜へたくそだけど 愛してた」の部分の宏美さんの歌声は、元気のない時ほど、沁みる。

 

 この歌を聴くと、これは私に限らず宏美ファンなら誰しも思い出さずにいられないのが、声帯ポリープ切除の手術のことであろう。シングル・バージョンは手術前の声であり、宏美さんは術後にアルバム(『Dear Friends』)のためにこの歌をレコーディングし直している。

 

 

 シングルの発売が9/21、そして手術が10/23。私は、日に日に声が出なくなっていった頃のコンサートには幸か不幸か参加していない。ファン仲間から、宏美さんの声の状態を気遣う情報が飛び交っていた。それを聞くだけでも辛かったので、ご本人の心中はいかばかりだっただろう、と思う。

 

 手術後初めて声を出した時の感動を、宏美さんは「小学生の時の自分の声だった!」と仰っている。この歌を歌うたびに、声が出なかった時期の辛さと、再び歌えるようになった喜びとの双方の想いが、宏美さんの胸には押し寄せるのではないだろうか。

 

 手術することになった時のまさしさんの言葉が温かい。「これまで長い間頑張って来たんだから、神様が少し休みなさいって言ってくれているんだよ」🥰

 

 声帯の先生も、「私たちの声というものは、残念ながら消耗品です。年令と共になくなってくるのですから、大切になさってください」と言われたそうだ。宏美さんもそれ以降、それまで以上に喉を大切になさっている。われわれも一つひとつの機会を大切に、これからも宏美さんの歌を心して聴いていきたい。

 

(2001.9.21 シングル)