「ナイアガラ」(Niagara)は、バーブラ・ストライサンドのアルバム『ウェット』(Wet、1979)に収められている曲である。作詞・作曲はC.B.セイガー、M.ハムリッシュ、B.ロバーツ。バーブラの歌唱は、いつもながらの美声と圧倒的な迫力だ。

 

ナイアガラの滝

 

 

 宏美さんはこの歌を違う歌詞で二度録音している。最初は81年のリサイタルのライブ盤。そしてもう一度は83年の『Disney Girl』である。ライナーノーツで宏美さんは、「この(Disney Girl の)中で一番好きなのは、何といってもバーブラ・ストライサンドの『Niagara』!」と言い切っている。大好きなバーブラの作品の中でも上位に位置すると言う。

 

 原詞の内容は、「あなたの眼差しは以前と違う。友だちの前でしか手を握らない。あの頃、ナイアガラではあんなに二人とも夢中だったのに。もう一度私を夢中にさせて」と言ったところだろうか。ライブ盤の方の岡田冨美子さんの訳が、かなり原詞に忠実な感じがする。スタジオ録音盤の有馬三恵子さんの方が、やや意訳であり、過去に拘泥する原詞に比して、前向きなニュアンスが感じられる。

 

 楽曲構成はシンプルで、(原詞では)色褪せてしまった今の二人の関係を寂しく嘆く前半、熱く燃え上がったナイアガラでの思い出を歌い上げる後半、となっている。印象的なピアノのイントロや、2コーラス後のサックスの泣きは、バーブラのオリジナルも、宏美さんの2種類の録音も共通(編曲はライブ録音:前田憲男、スタジオ録音:羽田健太郎)である。キーはバーブラがAメジャー、宏美さんは半音下のA♭メジャーである。さりながら、前半の語りかけも、後半の歌い上げも、宏美さんはバーブラに決して引けを取らない。

 

 この曲が歌われた当時、私はまだ学生でたっぷり時間があった。なので、スタジオ録音盤が出る前の約2年で、数え切れないほど81年のライブ盤を聴いた。そのせいだろうか、今でもこの歌をイメージすると、頭の中ではライブ盤の方の歌詞が流れる。馴染みがあると言えばそれまでだが、前半・後半の現在と過去、という場面転換が、ライブ盤の岡田さんの方が忠実に訳出されているため、何となくしっくり来るためもあるのではないか。

 

 宏美さんは、紙ジャケリリース時のライナーノーツで訳詞について触れ、「あらためて聞いてみると、日本語の訳詩って本当に難しいなって思いますね。日本語にすると、どうしても言葉が長くなっちゃいますから」と書かれている。例として「Someone To Watch Over Me」を挙げているが、もしかするとこの「Niagara」も頭にあったかも知れない。

 

 前半・後半の転換もそうだが、この楽曲の一番の聴かせどころである、サックスのソロの後の最後のリフレインに着目したい。バーブラのオリジナルでは、

 

♪ Up in Niagara, we were crazy then 

 Make me crazy again...

 

という2コーラス目の最後の詞を繰り返している。だが、節回しを変えて高音を多く使って緊張感を高めており、さらに、“Make me crazy”の部分を激情もあらわに2小節余分にフォルティッシモで引っ張り、最後の“again…”は祈るようなピアニッシモで終わっている。このラストが劇的な効果をもたらしていることに異論はないであろう。

 

 岡田バージョンでは、このラストの部分の歌い分けも念頭に置き、日本語への訳出不能と判断し、最後のワンパラグラフは原詞をそのまま引用したのではないか。有馬バージョンでは、「♪ 生きてると思えるのよ」と訳されており、太字部分をフォルティッシモで歌い、「のよ」をピアニッシモにしている。この歌い方は唐突であるとまでは言わないが、原詞の“again(もう一度)”をピアニッシモにしたのと同様の効果を上げているとは言いにくい。

 

 

 

 1987年の映像がYouTubeに上がっているが、その動画で宏美さんは、81年の岡田さんの訳で歌われている。宏美さんも、この曲のラストの感動を絶大なものにするには、最後の部分は原詞で歌う他はない、と思われていたのではないだろうか。

 

 最後に、そのミュージックフェアと思われる熱唱を聴いていただこう。

 

 

(1981.12.20 アルバム『岩崎宏美リサイタル’81』収録)