宏美さんの童謡・唱歌シリーズ第1弾『ALBUM』のB面ラストに収録されている。宏美さんは、デビューコンサートでサトウハチローさんの詩による「おかあさん」、3年目のコンサートでは、日本の叙情「ふりむけばふるさとが」を歌い、童謡・唱歌の分野に於いてもその歌唱の抜群の素晴らしさを世に示した。他にも、NHK等の番組でこの手の歌を披露する機会もあったようだ。という意味でこの『ALBUM』は、満を持して発表された、と言えるのではないか。ストリングス中心の、オリジナルの譜面には拘らないアレンジ(青木望)も良い。そして、すでに指摘されている通り、宏美さんの歌いぶりは、子どもの子守歌どころではなく、姿勢を正して聴くべき音楽、といった仕上がりである。

 

 『ALBUM』『album Ⅱ』の特徴の一つは、今日取り上げる曲もそうだが、時々2曲続けてメドレーとして演奏されていることである。さらに、曲間にブリッジのような短いインストゥルメンタルが挿入され、文字通り曲から曲への橋渡しの役目を果たしていて、アルバム全体としてトータルなまとまりが感じられる作りになっている。

 

 レコードからCD時代に移った頃、この2枚のアルバムを合わせて1枚に編集した『愛唱歌集』『ゆりかごの唄』などというタイトルのCDが、何度か出されている。選に漏れた曲のCD化をファンが望んだのももちろんだが、許せなかったのはバラバラの曲順とブリッジの扱いである。曲調・調性も考えて作られているブリッジなのに、曲順が変わってしまっては、ブリッジは浮いてしまう。それならばむしろブリッジをカットした方が良かったのでは?というくらい疑問の多い曲順と編集であった。

 

 そんな無念や不満が解消されたのは、言うまでもなく臼井孝氏のプロデュースにより、この2枚のアルバムの紙ジャケCD化が実現した2010年であった。ここで一応、岩崎宏美ファンとしては、基本的にアナログ音源の全てのデジタル化完了、と言うことで溜飲を下げることになる。

 

 

 さて、またまた前置きが長くなってしまった。「冬の夜」(作詞作曲者不詳)は、メロディーに聞き覚えはあったが、個人的にはあまり歌った覚えがなく、歌詞が新鮮だった。特に2番の、「♪ 囲炉裏のはたで縄なう父は/過ぎしいくさの手柄を語る/居並ぶ子どもはねむさ忘れて/耳を傾けこぶしを握る」には驚いた。この歌は1912年の作だそうだから、「過ぎしいくさ」は日清戦争か日露戦争を指していることになる。戦後の小学校では、その部分の歌詞を改変し、「過ぎし昔の思い出語る」と教えていたそうだ。宏美さんはあくまでアッサリ朗々と歌っていて、歌詞の向こう側の血腥さは感じられない。

 

 

 「母さんの歌」は、よく歌った。元々は「かあさんの歌」と表記し、窪田聡先生の作詞作曲である。ダークダックスやペギー葉山にも歌われ大ヒットした。歌詞内容そのものは、時代的地域的に言って、必ずしも私の母とは重ならないのだが、歌に込められた母への想いは時代を超えて万国共通であり、私の心に残っている歌でもある。それを宏美さんの歌声で聴くことができる幸せに酔いしれることができる。

 

 窪田聡先生とは、一度だけお会いする機会に恵まれた。1993年、真冬の秋田で、とある音楽研究会が開催され、私も参加した。その折りの助言者が窪田先生だったのだ。先生の印象は、とてもお若く、この歌の作者とはにわかには信じ難い感じであった。音楽に対する姿勢はとても真摯で、厳しさも持ち合わせていらした。「かあさんの歌」の楽譜にサインしていただいた物を、今も大切に持っている。

 

 

 当時の『ALBUM』歌詞カードの野口久光氏の解説に、こんなことが書いてあった。

 

「題して“ALBUM”。LPのことをアルバムともいいますが、この題名のALBUMは、どこのご家庭にもある記念写真やスナップ写真を貼った、あの部厚い家庭アルバムのそれを暗示しているようです。」

 

 たしかに、私たちやそれ以上の世代にとっては、この2枚のLPに収められているのは、アルバムに貼られた一枚一枚のセピア色の写真のように、ノスタルジックな気持ちを想起させる懐かしい歌ばかりである。

 

 今や、若いファミリーにとって、写真はカメラではなくスマホで撮るもの、アルバムは部厚い貼るものではなく、電子機器の中でスマートに自動編集されるものに取って変わられてしまった。この2枚に入っている曲たちも、知らない歌が増えてきているのではないだろうか。時の流れには抗えないと知りつつ、一抹の寂しさを禁じ得ない。

 

(1978.10.25 アルバム『ALBUM』収録)