ヴァルナという街で行われているミュージックフェスティバルに来ています。
今日はリハーサルを聞きに行ってきました。
私はできるだけ夫の本番の度に同行して、
リハーサルから本番までを聞くようにしています。
フェスティバルでは、
夫がモーツァルトのクインテットを演奏する予定です。
リハーサルを聞いていていつも思うことは、
良い音楽家って本当に少ない、ということ。
そして、良い音楽家かそうじゃないかは、
ひと目見てすぐに分かります。
ここで言う良い演奏家とは、
経験豊富だったり、肩書きが立派だったり、
ということではありません。
仕事の場合、良い演奏家たちばかりが集まるとは限りません。
良い演奏家だけの本番の場合の方が珍しくて、
その場合はラッキーで、仕事もウンと楽です。
リハーサルも最低限で済みます。
でも、通常は良い演奏家ばかりの本番とは限らないので、
リハーサルがダラダラします。
今回のようなクインテット(5重奏)の場合、
ひとりでもいまいちな人がいると、ダラダラします。
リハーサルで確認したいことはテンポです。
テンポといっても、
メトロノームのようなカチカチとビートを刻むようなテンポではありません。
いかにテンポを感じられるか、
いかに音楽のモーションを感じられるか、
ということが大事なことです。
音楽で大事なことは、
音のモーションが前へ前へと動くことです。
多くの音楽家は、この前へ前へ動くことと、
テンポが速くなることを混同しています。
前へ前へ動こうとすると、テンポまでつられて速くなっちゃう、ということが起こります。
テンポは変わらなくても、
何ならリタルダンドであったとしても、
ピアニッシモや、静かで穏やかなパッセージであったとしても、
やっぱり前へ前へという促進力は必要なんですよね。
そして、このことを可能にするためには、
良いサウンドを持っているか、ということが鍵を握ります。
内に秘めた激しさ、力強さ、エネルギーがサウンドの中にあるかどうか。
このサウンドこそが、
音楽を前へ前へ押し進める促進力の源だからです。
良い音楽家同士が集まると、
リハーサルの間もほとんど会話が必要ありません。
良いサウンドがそこにあって、
テンポやモーションを感じられる感性があれば、
音楽は自然と流れていきます。
大まかな骨組みと、要所要所で必要なことを確認する程度のことで済みます。
これがめんどくさいリハーサルになると、
『モーツァルトはこういう風に演奏した方が良いと思う。』
『1回目はこういう風に演奏したから、2回目のリピートはこうしましょうよ。』
『こういう風に演奏したらもっとユニークだと思う。』
とか、いろいろ言い出す人がいます。
そういう人はリハーサル中、随所で音楽の流れを止めます。
いっぱいいろいろ提案して、
いっぱい喋る人に限って、
サウンドがない、つまり技術がない。
音楽を感じられない。
という場合がほとんどです。
黙って弾きなさい、って思います。笑
みんなで意見を出し合って、
一緒に音楽を作ってる、という気になってるだけです。
良い音楽家であるためには、
技術があること、つまり良いサウンドを持っていること。
音楽を感じられる感性が磨かれていること、つまりソルフェージュ能力があること。
テイストが磨かれていること、つまりスタイルに合った表現を知っていること。
これらのことがとても重要だということです。
そしてアンサンブルに必要な要素を心得ているということ。
改めて、良い演奏家はとても少ないという現実を見ました。
それはなぜでしょうか?
今回ミュージックフェスティバルに世界各国から音楽家が集結していて、
彼らを見てて思うことは、、、
エゴが強い。
『自分自分、私を見て見て!認めて!』が強い。
誰しもの中にエゴは存在するもので、完全に取り去ることはできません。
でもそのエゴが強過ぎると、
身体の機能を歪めてしまうんですよね。
身体の機能に制限もかかってしまいます。
なんだかいびつな人になってしまう。
つまり自然じゃなくなってしまう。
自然体でなければ生きた音楽を生み出すことはできません。
そのことに気づいて、自分と向き合えるかどうかは、
良い音楽家であるためにはとても大切なことです。
それが、音楽の本質と向き合う、ということでもあると思います。
リハーサル。
フェスティバルでは、演奏以外にも、
夫が、『身体の使い方。心と思考が演奏に及ぼす影響。』
などについてのレクチャーもします。
レクチャーの会場です。