徳田武の「『吾輩は猫である』と根本通明」は、同作の三や九に言及され、 また登場する迷亭君の伯父たる牧山翁が実は
当時の著名な漢学者である 根本通明をモデルにした人物である事を指摘する。その証拠は、牧山翁 が明治も後半になるのに
丁髷・鉄扇の姿である所が根本通明と一致する からである。この牧山翁は、九に於いては孟子や卲康節及び中峯和尚が 唱え
る心の修養を説き、つむじ曲りで頑固な苦沙弥先生も、これに賛成 する趣が見えて、なかなかに重要な役割を負わせられて
いるのであるが、 そこに漱石の通明に寄せる敬愛の情が反映されているのではないか。但 し、実際の通明は奇矯なほどの易
学者なのであるが、そうした点は、該 作では取られていない、等々を述べる。
上文は、『江戸風雅』第29号の編集後記より抜粋したものである。